ホーム党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

労働新聞 2020年5月15日号 8面・文化

映画紹介/
イミテーション・ゲーム/
エニグマと天才数学者の秘密

覇権支える技術力の攻防戦

(2014年・米国
モルテン・ティルドゥム監督)

 量子コンピュータという言葉を目にする機会が増えた。新型コロナウイルス治療薬やワクチン開発の切り札としても期待される「次世代コンピュータ」だ。
 米グーグルは昨年十月、世界最高速のスーパーコンピュータでも一万年かかる計算問題を、同社の量子コンピュータが三分二十秒で解くことに成功したと発表、「地球から最初に飛び立った宇宙ロケットに匹敵」と成果を誇示した。
 だが成果の一方、現在社会で主流の素数を使ったRSA暗号が無力化する恐れがあり、いま世界の数学者は格子暗号など「次世代暗号」の仕組みづくりに急ピッチで取り組んでいる。
 このようにコンピュータと暗号は共進化の関係にある。本作はその歴史過程の一端を知ることができる興味深い作品だ。
  *   *   *
 第二次世界大戦開戦直後の一九三九年、英国の数学者アラン・チューリングは軍からナチス・ドイツの暗号解読を命じられる。当時ナチスは暗号機「エニグマ」を使って軍事情報を暗号化していたが、エニグマは設定を変えることで「一五九×一〇の一八乗以上」もの天文学的な数字のパターンをつくり出すことができ、連合国にとって解読は難攻不落の課題だった。
 チューリングは「エニグマ解読は人力計算では不可能」だとして「総当たり計算」解読機の開発を進める。無理解な軍上層部を飛び越えてチャーチル首相に直訴し巨額の資金を調達するなど、二年あまりの悪戦苦闘の末、ついにエニグマ解読に成功する。この解読機開発はその後、世界初のプログラム可能な電子式デジタル計算機の発明へとつながる。こんにちコンピュータと呼ばれているものだ。
 歴史的な発明を遂げたチューリングだが、映画では彼の本当の苦難はここから始まる。
 エニグマ解読は政府最高レベルの機密とされた。ナチスにバレれば、暗号機の仕様が変更され、解読はスタートに戻る。チューリングの解読で得られた軍事情報は、戦局を有利に導くよう国家レベルの戦略に沿って秘密裏に利用された。その成果を歴史家は「チューリングが対独戦争終結を二年以上早め千四百万人以上の命を救った」とみなしている。
 だがチューリングが賞賛されることはなかった。エニグマ解読の事実は戦後も五十年以上機密扱いとされ、英国政府が公式に認めたのは二〇〇〇年代に入ってからだ。英国民は彼の「英雄」と称されるべき偉業を知らない。それどころか、彼は当時の英国で違法だった同性愛者だったため「犯罪者」として扱われ、絶望のなかで一九五四年に自殺する。
 功績と悲劇の対比が残酷なまでに鮮明なドラマだが、これがほぼ実話であることが見る者の胸をさらに締め付けるはずだ。
  *   *   *
 この英国の情報隠ぺいは、もう一つの「悲劇」をもたらす。
 海洋大国であった英国では十八世紀以降、航海の必要性から計算が発展、「対数表」が生まれた。また人間による計算ミスを防ぐため、数学者のチャールズ・バベッジは計算を歯車に置き換える「解析機関」を提唱した。チューリングの功績はこうした学問進化に連なるものだ。なお、ドイツでエニグマを発明したアルトゥール・シェルビウスも英国王室の出身地であるハノーファーの大学で電気工学を学んでいる。
 一方、米国では十八世紀、急増する人口を把握する国勢調査の必要性に迫られた。発明家のハーマン・ホレリスは、パンチカードに穴を空けることで情報を記録し、それを集計するタビュレーティングマシンを発明する。ホレリスが興した会社が現在のIBMである。さらに米国では、大砲の弾道を計算する必要性から、真空管式の電子回路を持つ「エニアック」が開発された。これを開発したフォン・ノイマンが、二進法の採用などを提唱したことで、以降の米国を源流とするコンピュータの歴史が定まった。
 それは同時に、英国発のコンピュータ開発の歴史が傍流に追いやられたことでもある。米国にとって幸いだったのは、「エニアック」が終戦後に完成し、すぐに世間に知られるようになったことだろう。いっさいが秘匿された英国、エニグマもろとも破壊されたドイツとの違いである。IBMやアップルは、こうした米国の有利な条件の下で生まれたのである。
 この映画は、覇権を支える技術力が、それが生み出された環境によって左右されてしまうという歴史の皮肉を感じさせる。量子コンピュータや人工知能(AI)など次世代技術をめぐる争いはますます激しさを増しているが、このコロナ禍の中での競争は歴史の流れにどのように影響するのか、そうした推移に思いをはせることもできそうだ。(K)


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2020