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労働新聞 2020年3月25日号 通信・投稿

派遣切りの経験から思う
大変な時代がまたやって来た

リーマン・ショック以上の事態も

愛知県・相馬 成行

 私は十二年前のリーマン・ショックの時にトヨタ関連の工場で派遣切りに遭った。その後、いくつも職を変えながら、今も変わらずカツカツの生活をしている。土日は工場の警備で夜勤として働き、平日は夜間パトロールの仕事をしている。
 私が勤めている警備会社の関係者もつい最近、新型コロナウイルスに感染していることが分かった。感染拡大も結構身近に迫っている。
 ディスカウントショップでは二月半ば頃からマスクがなくなり、続いて期限切れ寸前のカップ麺などの食料品も品薄になっていた。これは異変が起きていると気付いた。自分の実感から言えば、経済も生活の苦しさも、間違いなくリーマン・ショック以上になると思う。

いまだ生活再建は遠く
 リーマン・ショックで派遣切りされてからいちばんこたえたのは、ちょうど一年ぐらい経った頃からだ。それまでは失業給付もあって何とかなった。しかしその後は、経済が少し回復したにもかかわらず、一定の年齢を過ぎ条件が悪くなるとせいぜい十〜十八万円程度の給料の安い仕事しかなくなった。正社員はほとんどなかった。役所からは滞納していた税金などの督促が容赦なく届き、それはその後もずっと続いたのできつく、生活を再建することなどできなかった。あの頃知り合った仲間も病気を抱えたりしながら今も必死に生き続けているという感じだ。
 私たちのような派遣労働者でなければ、あの当時のクビ切りのむごさや苦しさは分からないと思う。
 今また、あの時のような、いやそれ以上の事態となろうとしているが、周囲はまだそんな緊迫感が感じられない。それはリーマン・ショックのさなかでもそうだった。自分たちにとって事態は深刻だったが、相変わらず日常の社会は進んでいた。名古屋などに出かけると飲み屋ではかなり繁盛している様子だった。一部の人には厳しいが他の人たちにとってはそれほどではなく、社会の危機というのはこんなふうに進むのかと思ったことを覚えている。
 今政府は現金給付制度などを検討しているという。確かリーマン・ショックの時の定額給付金一万二千円は、われわれにとっては無いよりあったほうがよかったが、それでどうなるものでもない。ただわれわれに影響があることで政府がしたのは結局それだけだったという印象だ。二万円出そうが五万円出そうが、その程度では一時的で困難な人たちの生活保障にならないと思う。
 結局、現場で苦しんでいる人たちに対して政府は何もしていない。東北の震災復興でも同じだ。あれから九年も経ったが仮設住宅に住んでいる人たちがいる。原発事故の被害者に対しても次々と助成を打ち切っている。一方で東京五輪だ、リニアだ、大阪万博だといって盛り上がっている。労働者はそこに駆り出されているにすぎない。

不況のしわ寄せはどこに
 トヨタ関連の現場では、米国への輸出が減って現地生産が増えたことから、もう昨年から派遣労働者や期間工などを調整し始めていた。トヨタ工場労働者の感染が分かり、いくつかの工場が半日操業停止、消毒、濃厚接触者は十数人自宅待機となっているらしい。豊田社長も戦々恐々となっているのだろうが、これから起こる不況のしわ寄せは下請部品会社を直撃するはずだ。あの時以上に倒産・廃業になるのではないか。
 また、一次下請けのデンソー、アイシン精機などの現場では、昨年からできるだけ日本人の派遣を絞り、インドネシアやタイなどのアジア出身の外国人労働者をどんどん入れていた。懸念されるのはそうした出稼ぎ外国人労働者の問題だ。真っ先にクビを切られるだろうし、外国人に対するあつれきもひどくなるのではないか。多くの現場の労働者には「あいつらはアヤしい」と排除する気持ちが相当にある。それがとても気になっている。
 不安な気持ちの中でいろいろと考える。大変な時代がまたやって来たなあと。
 それにしても今回の事態で中国が世界のなかで相当に比重の高い国になっていることがよく分かった。「新型コロナウイルス」の名のもとでの経済戦争、米国と中国の間の戦いが今後どうなっていくのだろう。この先の状況がどこにいくのか。世界的不況が深まって、貧困や排外主義が広まって、かつての戦争のような、本当に恐ろしい事態になりはしないか。
 野党の国会議員が街頭で演説していたので、もっと安倍のたくらみや貧乏人や格差社会の問題をいうべきではないかと意見した。政治がいまこそ問われていると思う。


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