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労働新聞 2019年9月25日号

人生初の大病・入院を経験し考えた 闘うために生き続けたい!

怒りこそ私の原動力

A県 川本 和彦

 私事ですが、細菌性の肺炎で急きょ入院することになり、四十歳代にして初めて八月の丸一カ月もの間を病院で過ごすことになりました。当初は、夏風邪がひどくなったくらいに思っていたのと、大きな取り組みがいくつか控えていたこともあり、入院後も何とか外出許可を取ってでもかけつけようと思っていました。ところが自分が考えていたよりかなり状態は悪く、結局は何もできないまま一カ月をベッドの上で過ごすことになってしまいました。

風邪ではなく重い肺炎!
 普段は高熱ぐらいでは病院に行ったりしないのですが、二、三日熱が引かない上に、みるみるうちに全身に広がった発しんを見て「麻しんか何かかもしれない」と、病院に行くことを友人に強く言われ、受診することにしました。夜間の当番病院に行った時点で熱は三十九度八分でした。
 当日の担当医が研修医で、こちらの症状を伝えてもかみ合わずラチが明かず、いったん帰って昼間に出直すしかないと思っていたところ、回診から帰って来た別の医者に呼び止められました。たまたま内科部長をしている呼吸器内科の先生で、レントゲンを撮った後でCTスキャンまで撮ると言われました。その結果、かなりひどい肺炎だということが分かり、即入院となりました。
 入院の当初は、抗生剤や解熱剤もまったく効かず、一週間ほどは熱が三十九度から下がりませんでしたが、元々熱には強かったこともあるし、さして苦しさも感じていませんでしたので、入院についても軽く考えていました。ところが実際には、体の内部での状態はどんどん悪くなっていたようでした。血液検査結果での炎症や血中酸素濃度の数値も悪くなっていき、肺のレントゲンでの炎症も悪化していることが判明、いろいろなリスクを考慮しても輸血用血液製剤を使いたいということやステロイドの大量投与をすることを告げられました。
 また、家族を交えた話し合いで、どんどん重篤な状態になっているので、さらなる悪化に備えて、自力での呼吸が止まれば機械も止まる人工呼吸器か、心臓が止まっても動き続ける人工呼吸器か、自分で意思表示できるうちにどちらかを選択するように言われました。酸素吸入も最後は病院での最大量の十五リットルに切り替えても数値がなかなか上がらないような状態でした。機械だけが動くようなのは嫌だと医者に告げると何度もそれでいいのかと念をおされましたが、後で聞いてみると、そもそも私がしゃべったり動いたりしていること自体が奇跡的な状態のようで、ちょっと悪いほうに転んで自発的な呼吸をやめてしまっていたら、そのままあの世に逝っていたのかもしれません。
 そのような中、親は葬儀のことが頭をよぎったり、盆に駆けつける妹が来るまではもってくれと思っていたようですが、幸いにも意識は消失したり混濁したりすることもなく、また結果的には医者が心配していた危篤状態になることもなく、峠を乗り越えて少しずつ改善していくことができました。
 入院中はなるべくそのことを言わないようにしてもらってましたが、一カ月の間に四十人ほどの友人・知人たちがお見舞いに来てくれました。中には何度も見舞ってくれた方も何人もいて、とても励まされました。ありがたいことです。

死んでも負けぬ!
 入院の数日前にとあるお客さんと話していた時、たまたま「散々好きなように生きてきたから、いつ死んでも悔いはない」などと言っていたのを思い出し、ひょっとしてこのまま自分は死んでしまうかもしれないと思い、自分の通夜をしている夢まで見た私に、初めて「今はまだ死ぬわけにはいかない!」という強い思いが湧き出てきました。いちばん状態が悪かった数日間は、ほとんど眠れないまま、ずっと「死んでも負けてたまるか!」と思い続けながら過ごしていたんですが、その時頭の中にあったことは大きくは三つの事柄でした。
 家族や近しい人たちの顔と、仕事が増えていき実家や仕事場で片付けられないままになっている大量の物たち、そして沖縄の辺野古や安倍晋三の顔でした。身近な人たちを悲しませたくないという何ともやるせない思いと、このまま死んだらアレコレと親たちに負担を残してしまうという焦りのような感情、そして安倍や安倍的な者たちの好き勝手なままの今の状況を許したままだということに対しての強い怒りでした。その間つくづく思いましたが、人生において自分を奮い立たせるいちばんの原動力は本当に怒りのパワーが中心だったように思います。小さい頃からそうでしたが、部落差別のことを知って「差別を許せない!」という思いや、「人を人とも思わなくなる戦争を許せない!」といったように、自分にとって不正義・不条理だと思うことに対しての怒りが、さまざまな活動へと駆り立てる源だったように思います。
 また、今までは「病は気からだ、大抵のことは気合と根性でどうにかなる」と思って生きてきましたが、それだけではダメなこともあるということも思い知らされました。とは言っても元来の性格はそうそう変わらないでしょうが、安倍や安倍的なものたちの目の上のたんこぶであり続け、そういったものと死ぬまで闘い続けたいという思いをますます強く持った今回の経験でした。
 特に死ぬことに対しての考えは持っていませんでしたが、闘い続けるために生き続けたいと思った私は、そのためにも少しは摂生した生活をしていきながら、活動の面ではこれからも拳を握り締めて仲間たちと共に闘い続けていきたいと本当に強く強く思います。


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