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労働新聞 2019年4月25日号

ひと/「専門外」の課題で
研究・活動に奮闘

 日米関係の「B面」から見えるもの

拓殖大学外国語学部
講師・武市 一成さん

 差別排外主義的な街頭宣伝に反対する運動や朝鮮学校への高校無償化適用を求める運動に取り組む武市一成さんだが、職場の大学では米国史や日米関係史、英語の教員として教壇に立っている。「専門外」にも見える朝鮮半島の課題に取り組むようになった経過や思いなどについて聞いた。(文責編集部)


 私は高知県の農村地域で育ったのですが、進学校に通っていたわけでもなく、家庭の経済事情もあり、大学に進学するという選択肢は当時あまり頭にありませんでした。しかしその頃、まったくの偶然から手にした「英語の新しい学び方」(松本亨、講談社現代新書)を読んで英語学習に傾倒し、高校卒業後は東京で新聞奨学生をしながら英語の専門学校に通いました。その後、米国の大学に留学生を派遣する仕事などをしていましたが、二十歳代の終わりの頃、「何かの役に立つのでは」と妻に勧められたこともあり、日大文理学部史学科の通信教育を受け始めました。
 通信教育のスクーリングで受けた島川雅史氏(当時は立教女学院短期大学助教授)の西洋史の授業から大きな影響を受けました。島川氏は政治学が専門で、比較的「左寄り」の人です。当時ちょうど朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の核開発について米朝間で交渉が行われていて(一九九四年頃)、東アジア情勢は緊張していました。こうした状況について、島川氏は米国の東アジアの情勢を日米安保体制などに絡めて説明していました。
 当時の私にとっては目からウロコが落ちる内容でした。それまで私は日米関係をほとんど肯定的な側面からしか見ていませんでした。戦後の日米関係の下での「戦後民主主義」や「平和憲法」の積極面、それを私はよく「A面」と表現しています。しかし「安保」「核の傘」など、島川さんの話はいわば「B面」に関するもので、彼の授業は、そうした角度から日米関係を見る契機となりました。
 また九〇年代は、「従軍慰安婦」問題に関する河野談話(九三年)や戦後五十年に関する村山談話(九五年)などが出され、さらには現在につながる歴史修正主義が台頭し始めた時期です。「B面」を意識しながら戦後日本を考える材料に事欠かきませんでした。本多勝一氏の著書を読むことなどから始め、自分なりに日米関係史を両面から眺めようと学習を続けました。
 その後、米国の大学に進学しようと、日本での仕事を辞め、ティーチングアシスタントをしながら州立ニューメキシコ大学の大学院に通いました。九九年に帰国し、学習塾で講師をしながら糊口(ここう)をしのぎ、二〇〇八年に法政大学の国際文化研究科博士課程に入りました。
 その頃には、日本という国と社会を考えるうえで、朝鮮半島について知り学ぶことが不可欠であり、残りの人生を懸けるに値する課題だと確信するようになりました。
 現在、ある媒体に一文書く必要があって日本のマスコミの十九世紀末から現在までの朝鮮半島報道について調べていますが、一九六五年の日韓基本条約の前後の論調をみると、「読売」も、リベラルだと言われている「朝日」も、植民地支配に対する反省がないという意味ではほとんど違いがありません。日米安保体制の下、戦後の日本政府は過去の植民地支配に対する謝罪や補償を免罪されてきましたが、マスコミも完全に体制内であったことが分かります。
 韓国との徴用工をめぐる問題でも、朝鮮の核・ミサイル開発をめぐる問題でも、政府やマスコミのみならず、リベラルといわれるような人たちにも、重要な視点が欠けているように感じています。日本には「戦後民主主義」があって、「憲法の下の平和」があり、それを安倍政権などの復古主義勢力が壊しているかのような印象がありますが、それは「A面」の話です。(南北朝鮮の軍事境界線上にある)板門店の北側から見なければ理解できない日本の姿もあると思います。

「戦後民主主義」の「B面」
 「B面」ということでは、沖縄に関する考察は避けて通れないと思うのですが、実は私はまだ沖縄を一度も訪れたことがありません(笑)。米国留学時代にニューメキシコ州のアルバカーキに住んでいたのですが、そこには軍民併用の空港があり、広大な空軍基地がありました。しかし基地は住宅地から遠く離れており、住宅街の上を戦闘機が通ることはありませんでした。基地周辺に住んでいる低所得者層は戦闘機の爆音などの影響を受けていたかもしれませんが、伝え聞く普天間基地周辺のようなひどい状況にはないと思います。
 自らの故郷についても、もっと調べる必要があると思っています。私は高知県本山町出身ですが、地元にある早明浦ダムに九四年十月、米軍機が墜落する事故が起きました。私が高校生の頃は、近くに遊ぶ場所もないので、放課後に友人と遊びに行ったりしていた身近な場所でした。当時は米朝関係がかなり緊張していた頃です。四国の山岳地帯は、地形的に朝鮮半島のそれとよく似ていて、朝鮮攻撃をシミュレートするには格好の場ということで、米軍は早明浦ダムを朝鮮の目標物と見立てた訓練を繰り返していたと言われています。そうしたなか、訓練中に操縦士が意識を失い、ダムの湖面に激突する事故が起きたわけです。その頃、クリントン米政権がカーター元大統領を朝鮮に送って緊張緩和に動きましたが、大学の授業で島川氏が「もし共和党政権だったらそのまま攻撃していただろう」と語っていたのを覚えています。当時の橋本大二郎県知事が「現場は米軍に封鎖され、県警も近づけない」と批判していた記憶がありますが、これも、朝鮮の側からすれば、また違ったものに見えるはずです。
 こういった事実を知ることは、「戦後民主主義」の「B面」を考える上で欠かせないことですから、今後とも学習や研究を続けていきたいですね。

反差別教育の可能性
 現在、日本と韓国の間では文化交流が盛んです。韓流ブームの後も韓国映画やドラマは人気があり、若者はK│POPに熱中しています。
 「交流を進めれば友好・平和になる」という考えがあります。交流があるにこしたことはないのですが、万能ではないと思います。何か一つコトが起これば、友好機運も一変してしまうでしょう。
 知り合いの英語教員がいるのですが、韓国の留学生の招きでソウルに旅行し、留学生の家族に料理を振る舞われるなど歓待され、SNSに「韓国を初めて訪問したが、大変親切にされ、食べ物も美味しく、素晴らしい!」とその「おもてなし」に大感激していました。しかし同時に、「地下鉄では『竹島』についての放送が流れ、大使館前には日本を批判する少女像が建てられている。私が何をしたというのか。なぜこのようなことを言われなければならないのか。韓国にはおもてなしの文化がない」などという書き込みをしていました。「少女像」を設置した韓国市民は、第一義的に日本政府の批判をしているわけですが、その教員の中では、政府の責任と個人の感情がごっちゃ混ぜになっているわけです。そういう人は日本に大変多く、文化交流が万能ではないというのはそういうことです。
 個人、民族、国家、社会などの事柄を対象化して捉え、批判的に問い直す視点を獲得する教育的な営みが日本に欠けていることがひとつの理由なのではと思っています。
 もっとも、権力層は、市民がそのような視点を持つことを警戒するわけですから、逆に「日本人」であることを疑問なく内面化させようとする仕組みは、日本社会のいたるところに組み込まれているわけです。
 現在、天皇の代替わりについてマスコミも盛んに報道し、世間の関心はそれ一色になっています。これも、「戦後民主主義」の「A面」だと思っています。「あの天皇自身はいい人らしい」「象徴天皇制ならいいのでは」という意見はリベラルな人のなかにもありますし、韓国にさえあります。これは危険なのではないでしょうか。道徳教育なども、悪いことではなさそうに見えますが、それが誰により何の目的で行われているのか、何につながるのか、注意が必要でしょう。
 こうした問題を打開する方法として、反差別教育は一つの手がかりになると思っています。他者と自分との関係について考えることは、マイノリティの視点を持ち、物事を相対化し、批判的に見る複眼的思考を獲得するうえで重要なことだと思います。人は、それぞれに少数派性や脆弱性を抱えているわけですから。
 現在、政府は外国人労働者(外国人材)の受け入れを増やす方向で動いています。日本の場合、国際化やグローバル化は、常にナショナリズムや道徳規範の強化を伴ってきました。それはこんにちも変わりません。共存のための真剣な議論を通して、これまで見えてこなかった「B面」に踏み込んでいくことが求められていると思います。
 大学で教壇に立つ者として、教育にできることについて、今後も試行錯誤を続けていきたいと思っています。

たけち・いっせい
 一九六三年、高知県生まれ。州立ニューメキシコ大学大学院にて修士号取得(歴史学)、法政大学大学院にて博士後期課程修了、博士(国際文化)。現在、拓殖大学外国語学部講師、埼玉学園大学人間学部講師。専門領域は日米関係史、国際文化学、大衆文化。著書に『松本亨と「英語で考える」』(彩流社)など。


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