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労働新聞 2018年11月5日号 投稿・通信

人間扱いしない行政、
あきらかな差別 
労働者排除の
センターつぶしに反対


 全国の皆さん、ご支援ご協力を!

釜ヶ崎地域合同労働組合
執行委員長・稲垣 浩

労働者のまち・釜ヶ崎
 日雇い労働者の街は、東京の山谷、横浜の寿町、名古屋の笹島、そして大阪の釜ヶ崎の四つです。
 私が釜ヶ崎で日雇い労働者として働き始めたのは、一九七一年の春だったと思います。二十歳代後半でした。前年の七〇年に大阪万博がありました。いろいろ話を聞くと、釜ヶ崎の日雇労働者なしに大阪万博は間に合わなかったと言われています。
 釜ヶ崎の労働者がいちばん多かったのは関西空港開港の九四年頃だったと思います。あいりん職安の日雇労働被保険者手帳(雇用保険)、いわゆる白手帳をもっている人だけで二万二千人くらいいました。
 大阪万博後に不況になり、また石油ショック後の七五年なると、釜ヶ崎の労働者の生活は深刻になりました。そこで七五年十二月から、近くの公園で毎日二回(朝十一時と夕方の五時)の炊き出しを開始しました。また、炊き出しやさまざまな支援の拠点として、七八年に釜ヶ崎解放会館を建てました。炊き出しは今年八月末までの合計で七百三十万食を超えました。炊き出しのピークは一回で千五百食くらいでした。
 関西空港の開港以降は仕事がどんどん減って行きました。そうした状況のなか、簡易宿泊所や飯場を転々とする労働者が住民登録の住所として釜ヶ崎解放会館の住所を利用することを、大阪市西成区役所は長い間黙認してきました。会館に住民登録した人は一時は四千人くらいになりました。そのことで多くの労働者が安寧に暮らすことができました。
 ところが、大阪市は二〇〇七年になって、会館への居住実態のない住民登録を認めないという方針に転換し、住民登録の削除を強行しました。こうして、あいりん職安の白手帳をもっている人を条件の厳密化などの理由を付けて締め付け、意図的に減らしていきました。現在、釜ヶ崎には約一万人の日雇い労働者がいますが、白手帳を持っている人は千人を切っています。

仕事紹介しないあいりん職安
 環状線のJR新今宮駅前に「あいりん総合センター」があります。国の「あいりん労働公共職業安定所」、府の「労働福祉センター」、市の「社会医療センター」、「市営萩之茶屋第一住宅」、さらに食堂やシャワー室などがある複合施設です。釜ヶ崎の労働者が活用できる建物です。一九七〇年十月に建設されました。
 センターの三階に「あいりん職安」が開設されたのは七〇年です。「釜ヶ崎の労働者がヤミ手配やヤミ求人、暴力手配師や暴力飯場の被害に遭わないように業者直接の求人を受け付け、釜ヶ崎の労働者が安心して働ける仕事を紹介する」というのが設置理由でした。
 ところが、あいりん職安がやってきたのは、あぶれ賃(雇用保険)の支給だけでした。仕事の紹介しない特殊な職安です。常用の仕事はいっさい紹介しません。仕事の紹介業務を行うことが職安の本来業務なのに。あいりん職安が仕事の紹介業務をやって来なかったことは釜ヶ崎の労働者にとって悲劇です。
 十数年前から、あいりん職安に、「あいりん職安が仕事の紹介業務を行うよう」要求する行動を始めました。裁判闘争も起こしました。二〇一五年四月に判決があり、私たちは敗訴しましたが、判決文の中に「あいりん職安が仕事の紹介業務を行わないことは違法と言わざるを得ない」と書かれていました。
 これを手がかりに、服部良一元衆議院議員(社民党)などの協力で、あいりん職安が「一七年四月から仕事の紹介業務を始める」といったん約束しましたが、いまだに実行していません。判決が出る前のあいりん職安の言い訳は「うちはあぶれ賃の支給を、日雇いの仕事の紹介は労働福祉センターがやります。住み分けです」と。判決後は「業者や企業からの求人がないんです」と。
 大阪市がつくった「あいりん臨時夜間緊急避難所」、いわゆるシェルターがあります。公園などで宿泊していた人たちを強制排除して、追い立てられ行き場を失った人たちがシェルターで宿泊しています。大阪市が建設費、運営費など出している公共施設です。ところがこのシェルターでは宿泊者にまくらを出さない。人間扱いしない、明らかな差別です。

次は住民訴訟で闘う
 一二年六月、当時の維新の橋下徹市長が「西成特区構想」をぶちあげました。「日雇労働者や生活保護受給者集中する西成区の問題を解決する」というのが口実です。「外国人観光客の拠点」「産業創出や大学誘致」「治安や環境改善重視」などをテーマに有識者座談会などで議論をさせてきました。釜ヶ崎のまちづくりということで、「まちづくり会議」の議論が進められてきました。
 このようにボトムアップの形式はとってきましたが、国や大阪府、大阪市のねらいは労働者の街の象徴であるセンターをつぶして労働者を見えなくしてしまおうということです。最初の会議で橋下氏は「労働者は遠慮して下さい」と発言しました。まさに労働者排除です。
 早くからあいりん総合センターは「耐震的に問題がある」とか「建て替えが必要だ」ということ議論誘導がありました。全体構想や議論がないまま、「市営萩之茶屋住宅」と「社会医療センター」を萩之茶屋小学校跡地に移転新築が進められています。
 一六年七月、あいりん職安と西成労働福祉センターの仮移転先として、南海電鉄の高架下に決まったという報道がありました。
 来年の三月頃までに南海高架下に仮移転先工事を完成させ、センターを封鎖、その後にセンターの解体という計画です。
 私たちはセンターの移転に反対です。仮に百歩譲って移転に同意したとしてもも、仮移転先がなぜ南海電鉄高架下なのか。たとえば三角公園の一角なら騒音問題もない。仮移転先には、あきらかな問題がいくつもあります。
 一つ目は安全性です。センターは一九七〇年建設で築四十八年、当時のお金で二十二億円かけた「百年もつ」と言われた頑丈な建物で、六月の大阪北部地震でもびくともしませんでした。柱にひび割れなどありません。一方、仮移転先の南海高架下は三八年の完成で、築八十年です。高架下を見ると分かりますが、たくさんのひび割れなどあります。大阪北部地震の時もコンクリートのかたまりがいくつも落下しました。
 二つ目は、仮移転先の建設費用だけで約七億円という額であり、同等の建物と比較して異常に高いことです。「森友問題」では国有地が異常に安く売られたことが問題となりましたが、こちらも異常です。
 三つ目は、最終的な移転先を決定しないで、既存のセンターを解体することは不当だということです。
 私たちは先日、こうした内容で住民監査請求を行いましたが、請求は棄却されました。今後は住民訴訟で闘います。
 釜ヶ崎は労働者のまちです。釜ヶ崎が人間とするとセンターは心臓です。私たちは月曜から金曜の九時半から十二時まで、仮移転先前で抗議行動を行っています。今後もセンターつぶしに反対し闘います。全国の皆さんのご支援をお願いします。


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