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労働新聞 2018年10月5日号 投稿・通信

収獲の秋、冬を前に思う 
農村だけど「農家がいない」


新しい地域の在り方を模索中

秋田県・農業 佐藤 清隆

 十月になりました。わが家の稲刈りは台風や雨の影響で予定より一週間ほど遅れ、まだ半分ほどしか終わっていません。コメの作況も、秋田は全域で「やや不良」(九五〜九八)となっていますが、稲刈りが進むほどに例年より悪くなっていることを感じます。品質面では、高温障害を危ぶんでいますが、これは収獲し検査が終わってみないと分かりません。ですが、量や質の面で今年は例年より減収になることは避けられそうにありません。
 しかし、全国的には台風など水害が猛威を振るい、県内では大仙市が集中豪雨で大きな被害を受けました。このような農家が多いことを考えると、まだ私のところは恵まれているとも言えるのかもしれません。私の住む県南地域は、豪雪の被害はあっても、その他の被害はこれまでそれほど起こっていません。しかし今後もそれが続くかは分かりませんが。

法人が担い手の中心に
 また、今年から減反・生産調整がなくなりました。しかしこの影響は地域ではほとんどありません。そもそも農村である私の住む地区にある二十八戸のうち、農業を営んで収入を得ている「農家」は二戸しかありません。ほかの家は田んぼを農業法人に預けています。高齢化で農業を続けなくなっていることが主な理由で、六十歳代である私が地区でいちばんの若手農家です。地域の多くの田んぼを預かるこの法人はこれまでも減反と関係なくコメを作ってきたので、地域として廃止の影響は大きくありません。
 このように、最近は農業法人が数多く設立され、地域の農業を担っていることが少なくありません。家族経営から法人化したものや仲間同士で立ち上げたもの、JA系、土建会社系、肥料会社系など、さまざまです。また良いところや悪いところなど、中身も珠玉混合です。採算重視で耕作しにくい小さな田んぼは引き受けないような法人もあります。
 私のところでは、一つの法人が地区のほぼすべての委託される田んぼを引き受けています。基本的に社会貢献をめざして立ち上げられた法人なので、小さな田んぼなども引き受けています。まあ山間で小さな田んぼが多く、ほかの法人があまり入って来ようとしないという事情もあるのですが。用水路の管理などで私も法人の人たちとは協力してやっています。
 しかしこの法人とJAとの関係は良くありません。JAは信用や共済など農業と関係の薄いところが大きくなっているので、どうしても生産者と利害が合わない部分も出てきています。私としては地域のためにもっと協力した方がいいとも思うのですが。
 年を追うごとに変わっていく地域の中で、自分に何ができるのかを考え模索する日々です。

「アンチ安倍」の空気
 先日、自民党総裁選があり、安倍氏が勝利しましたが、予想以上に石破氏が善戦したと報道されています。秋田県でも石破氏は安倍氏の九割近い党員票を得ていました。しかし秋田県で石破氏をよく知っている人はいないと思うので、これは安倍氏に対する批判票が多かったとしか言えないでしょう。
 県南地域は菅官房長官の出身地で、現在でも強い影響力があると言われています。共済などJA関連団体、農業委員会、土地改良区など、こういった組織の上にいる者は自民党に入っていて「安倍に入れろ」などの指示が下りてきているのかもしれませんが、下まできちんと来てないということも聞きます。菅官房長官にしても「横浜で婿入りした人だからね」などとも評されていますし。
 また、お隣の山形県では石破氏は四割近くも安倍氏を上回りました。山形のJAは石破氏を支持していたのでしょうか。よく知らないのですが。山形は、コメや野菜が中心の秋田とは違い、江戸時代から北前船の起点であり、商品経済と結び付いており、果樹など高品質の農作物も多い地域です。JAの体質や考え方も秋田とは違うでしょう。まあ秋田でもしばりの少ない農業法人化した農家はアンチ安倍の考え方が強いように感じます。
 東北の人は、アベノミクスにしてもそうですが、「安倍政治は都市中心の政治だ」と大方そう思っています。自分たちは取り残されていると思っています。しかもそうした状況が何年も続いています。ダマされなくないという思いが間違いなく根底にあります。
 阪神大震災後の復興と比べると、東日本大震災後の東北の復興は相当に時間がかかっている、誰しもそう思っています。また今年の北海道地震で全道が停電しましたが、首都圏などであのようなことが起こるとは思えません。そういうところに地方に対する国の姿勢が示されていると感じています。


「農業継がなくてよい」
 「労働新聞」九月十五日号に徳島の花農家の人が投稿していました。息子が跡を継いでくれたものの、この先どうなるかが心配だという話でした。彼の悩みに思いをはせながら拝読しました。
 私には息子と娘がいますが、二人には「農業を継がなくてよい、継ぐのであれば都会の半分の収入でやっていく覚悟が必要」というようなことを話して送り出しました。二人とも故郷を思う気持ちはあるようですが、現在はともに首都圏で仕事や家庭を持って生活しています。
 この秋が過ぎ、冬になれば、私も例年と同じく首都圏に出稼ぎに行きます。また燃料会社で運転手として働きます。。農業収入だけでな生活できませんので、今年も行かねばなりません。しかし、職場には同郷の人間が多く、また休日には子どもたちやその家族と会うこともできます。出稼ぎも大変なことばかりではありません。
 しかし、こうした仕事や生活がいつまで続けられるのか。子どもたちがどうなるのか。私の村が今後どうなるのか。先行きはまったく分かりません。また通信のような形で近況をお知らせしたいと思います。


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