ホーム労働新聞最新号党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

労働新聞 2018年7月25日号 投稿・通信

相模原事件2年に思う
 「目に見えない檻」で
隔離された「共生」


「障害者施設ない社会」を

埼玉県・田中 幸二

 二年ほど前にも「労働新聞」に投稿しましたが、私は脳性麻痺という障害をもって生まれ、今は地域の仲間といっしょに障害のある人の支援をするNPO法人を運営しています。
 一昨年の七月二十六日、神奈川県相模原市の障害者施設で十九人の障害者を殺める戦後最悪の大量殺人事件が起こってから二年が経とうとしています。事件を起こした者は「障害者なんていなくなってしまえ。障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」と主張する確信犯でしました。これに対し石原慎太郎は「ある意味では分かる」とその行動に理解を示した。ツイッターなどインターネット上でも「他人の迷惑となる重度障害者に人権なんて与えなくていい、犯人はよくやったと思う」などの書き込みが続きました。
 政府は「真相解明、再発防止」を言ったものの、まだ正式の裁判にすら至っていません。結局のところ政府は「障害者が障害者に殺された」ということで「一般社会とは違う特殊な事件としてフタをしてしまいたい」というのが本音かもしれません。

諸権利は得たけれど…
 障害者に対する差別は改善に向かっているのでしょうか。
 確かに一見すると社会の理解は進んでいるように見えます。私たちも医療との連携や児童の進学相談などをサポートし、障害があっても地域で暮らせることが当たり前となるよう活動を一生懸命行ってきました。これまでは障害があるというだけで就学が猶予されたり、働けなかったり、町の施設が利用できなかったりという「負の差別」がたくさんありました。そうした状況が変わったのは運動の成果でもあります。
 現在は、障害があるとすぐ児童発達支援が利用できたり(一般の子どもは保育園の数が足りないのに)、不登校の子どもがたくさんいるのに障害がある子は特別支援学校や放課後デイサービスに通えます。働かなくても年金がもらえ、医療費の心配もないなど、一見すると逆に「正の差別」がたくさんある中で私たちは生きています。
 そうした中、「地域の中の自分」という意識もなく、当事者や家族が自身のためだけにサービスを使おうとし、社会も他人事のように許容してしまう、そんな現状もあります。
 私は、人間は基本的に群れるのが好きで、いつも人を欲する生き物だと思っています。ある学者は「弱い人間がマンモスのような強い動物から身を守るためには、力を合わせて闘うしかなかった。助け合うのが良いことだという価値観が遺伝子としてインプットされている」と言っています。
 しかし、今の障害者福祉は、本当の自立と助け合いをつくるのではなく、「ヘルパーさんと二人でディズニーランドに行って、施設の職員さんとカラオケをやって、とても楽しかった」…それだけで満足してしまう人を増やすだけのように思います。
 障害がある人にとって支援者とは、幼い頃は「いっしょに遊んでくれる憧れの人」。少し成長すると「頼りがいのある人」。大人になると「自分の思いを叶えてくれる人」。要するに「自分がガマンや駆け引きなどでがんばらなくてもいつもやさしく接してくれる人」がそばにいる状態です。
 その一方、障害者と地域の人たちが直接向き合って本音で話し合った付き合ったりする機会が実際には少なくなっています。いわば「目に見えない檻(おり)」に隔離された中での「共生」が進んでいるのです。

真に助け合える関係を
 こうした中、健常者といわれる人びとは、ますます格差の広がる社会の中で生活不安を募らせ、本音では「障害者だけが優遇されるのはおかしい」という感情がどんどん拡大しているように思います。
 私たちがつくり運営している施設は、この檻を取っ払うことをめざしてつくりました。障害のある人が、「地域に打って出る基地」であり、私たちは地域で暮らす障害がある人の「駆け込み寺」になればと思っています。
 障害がある人が地域で暮らせるようになれば、その時は障害者施設は要りません。ですからこの施設をつくった十八年前は、役割が終われば施設を閉じて新たなことを展開するつもりでした。しかし今、「必要悪」として位置づけていたにも関わらず、その必要性は増大してしまっていると感じています。
 小さな力であり、ごまめの歯ぎしりかもしれませんが、運動を続けたいと思います。そして「とことん効率性を追求しながら競争し、カネを稼ぐのが目的の社会」ではなく、「皆がそれぞれの特性を生かしながら助け合える共生社会」をつくる運動の一翼でありたいと思っています。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2018