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労働新聞 2018年5月25日号 投稿・通信

地域支える商業の衰退に思う 
零細商店を滅びるに
任せる国と行政


切り捨て正当化の潮流変えたい

京都府・自営業経営 加藤 和孝

 最近、商業について関心を持っています。京都では最近の外国人観光客の激増などもあって、有名な錦商店街などはいつも人でごった返しています。しかしそういう特別な条件のあるところ以外はシャッター通り化しつつあるのは、他の都市と変わりません。
 農村では崩壊しつつある集落をどう維持するのかという大問題がありますが、都市にもまともに商店街も維持できなくなりつつあるという問題がありますね。商売人が元気でいるかどうかは、高齢化社会への対応、住みよい地域づくりなど、すべての問題に直結する問題です。保守政治の力の源泉でもありますしね。
 そこで、少し調べてみました。まず、大づかみに京都市の商業について数字から見える概要を押さえます。

国策変更が大打撃に
 小売業について顕著なのは、一九九一年から二〇一四年までの二十三年間で売上額が二二%落ち込んだということです。また小売店の店舗数は三八%も減っているのに、一店あたりの従業員数は四・四人から七・四人へと一・七倍になっています。つまり、相当に大型店へのシフトが進んだということです。ですから、零細な小売店だけの数字を取れば売り上げの減少割合ははるかに大きいことになるはずです。
 また、卸売業は〇二年までに店舗数、売上額、従業員数とも大方四〇%近く減少しました。それ以降は横ばい状態が続いています。(これは、商業の構造変化より京都市の関西経済圏の中での位置の変化、すなわち中心都市ではなくなったことが主要な原因と思われる。)
 この期間の環境の変化としては、米国からの強い要求で〇〇年には大店法が廃止され、事実上大型店は自由にどこにでも進出できるようになりました。「大規模店舗の出店を規制から自由に」という国の政策上の重要な変更があったので、このあと急速な変化があったのではないかと推測されます。商業の売上全体が急速に落ち込みつつあった中でこの規制緩和が行われたわけで、零細小売店には大きな打撃となったことは想像できます。
 そして実際にどういう変化が起こったのか。右京区の例ですが、〇〇年には十三の商店会(繁栄会とか名称はいろいろ)が組織されていました。それが一六年にはわずか三に激減しています。他の十の商店会は、全部が廃業したというわけではないが、組織として商店会を維持する力がなくなったということです。
 〇三年には京都市職労が市内全部の商店街を歩いて「閉店した」商店の数を調べる興味深い調査を行っています。この時の、各調査員(組合の活動家たち)が商店街を歩いたときの実感が、調査票にコメントとして残されています。興味深いですよ。少し引用します。

・閑散としていた。お年寄りが多かった。三月末に閉店すると言っていた八十七歳の帽子店のご主人が印象的だった。六十五年ずっときたけど、病気をしてたたむことにしたと。
・一見、たまたま休業日なのか、営業していないのかわからなかったので、近所の人に聞いてみると「シャッターを閉めている店はもう営業していないよ」とのこと。狭い範囲だか軒並み空店舗になっている感じ。
・京都駅に近い場所であるにもかかわらず、店は少なくなっており、まったく活気が感じられない。シャッターが閉っている店はどれも古く、シャッターが開けられている気配が感じられず。

行政はあきらめた?
 さて、こういう事態に直面して行政はどうしたのかは重要な問題です。詳しく検討すれば論文何本か、本何冊かということになりそうですが、そこまで深入りは今はできませんので大雑把にやります。
 一九九〇年代から今まで、商業政策あるいはもっと総括的な産業政策について京都市は、一九九八年に「京都市商業振興ビジョン『もっと華やか 京の商い』」、二〇〇四年に「おいでやす京の商い〜京都市商業ビジョン二〇〇四」、一〇年に「京都市商店街の振興に関する条例」、一一年に「京都市商業活性化アクションプラン二〇一一」「京都市新価値創造ビジョン」、一六年に「京都市産業戦略ビジョン」などの文書を出しています。
 一九九八年の文書がいちばん具体的です。「商業は『町の華』」と言い切り、「地域の活力を維持するためには、まちで活動する商業がより魅力的で元気である必要があります。」という問題意識がベースになっています。そして大事なのは「やる気のある商業者を応援する」と言うだけでなく、「みんなのやる気が出るように」さまざまな応援策を提案していくという意気込みに溢れています。これからやって来る大店法廃止に備えて、既存の商店を守っていこうという熱意が感じられ、商業者は勇気付けられただろうなと思えるのです。
 しかし、結果的にはそれでも守れなかったという現実はあるのでしょう。
 いちばん最近の「二〇一六年ビジョン」では、商業について「商店街の振興を柱として、商業者や商店街が取り組むさまざまな事業活動を支援」「他の地域にはない商品やサービスの発掘など、商店街の個性を活かした新たな需要の獲得支援」などの空疎な台詞が並んでいます。「まるで何も考えていません」と告白したような文章ですね。「イノベーション、高付加価値化、生産性向上、グローバル人材の育成」などなど、実態のイメージできない言葉だけが並べられています。
 一言で言って、後のものになればなるほどつまらなく言葉だけになっていきます。おそらく、〇五年くらいのどこかの段階で「全体を守ることはあきらめて、やる気のある部分だけを応援する」という風に政策転換をしたのだと思います。小泉政権から現在の安倍政権に至るまでの(民主党政権時代も含めて)政府のグローバリズム産業政策と歩調を合わせているんでしょう。
 現実の前にやりようがなくなって諦めたのか。政治家や役人がグローバリズムに宗旨替えをした結果、そういう政治の所為で商業が滅ぼされてきたのか。私は後者だと思う。欧州でも東南アジアでも、商業は日本よりは生命力に溢れているのではありませんか。
 商業も農業も時代の流れの中で自然に淘汰され、滅びていくというようなものではありません。ところがそういう滅びが今の日本では普通になっている。
 私たちの社会は普通の仕事の集積で成り立っています。誰でもが普通に営める仕事を普通にやって生きていくことは、社会のあり方の基本です。
 仕事を、特別の資質や条件がないといけないように描く、あるいは特別に努力しないのが悪いのだというように描き、「がんばらない者たち」への切り捨て政策を正当化する。今の日本では、こういう歪んだ仕事観が幅を利かせています。
 安倍首相の言う「努力するものが報われる社会」という上から目線の傲慢な考え方を打ち破らない限り、日本の商業や農業に展望は開けないのかな、と考えています。
 こういう角度から、日本の商業問題を今後ももう少し見つめてみたいです。


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