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労働新聞 2018年4月25日号 投稿・通信

書類1枚探すのに
教員全員が休日出勤? 
過酷さ増す教育現場に驚き


過度な気兼ねで心身はボロボロ

神奈川県・元教員 岡田 知美

 私は退職した元教員だが、この一月から三月まで一年ぶりに非常勤講師として教育現場で働いた。今回は新採用教員のサポートとして若い男性担任といっしょにクラスの児童の指導にあたった。子どもたちは素直で人なつっこく毎日楽しく働くことができた。しかし同時に、新採用教員のあまりの多忙さ、私の頃よりさらに過酷さを増す現場の状況に驚かされた。
 私は非常勤なので午後四時頃には退勤する。しかし担任は、その時間までは児童が学校にいるので、とても教材研究どころではない。当然ながら授業中は真剣に子どもと向き合って指導する。給食時間や清掃時間は、子どもたちが教室を動き回って活動するので、安全面での配慮が必要とされ、授業中以上に担任はエネルギーを消耗する。十年ほど前までは、休み時間は子どもたちが自由に遊び、トラブルがあってもそれなりに自力で解決することが多かった。しかし今は、保護者の多様化からトラブルになることを恐れ、担任が見守ることが多い。それゆえ、子どもが学校にいる間は教材研究や丸付けはほとんどできない。
 四時過ぎからはほぼ毎日のように会議も入っている。教材研究・教材作りやテストの採点は勤務時間が終わってからやることが当たり前になっている。保健関係、会計の事務、出席簿や指導要録、通知表などの仕事も勤務時間外に行うことがほとんどである。「ぼく、仕事が遅いから帰宅するのが十時を過ぎちゃうんですよ」と担任は言っていたが、決してそうではない。勤務時間が過ぎてから翌朝までの間にその日の授業に使うプリントや掲示物が作ってあり、授業の構想も考えている。漢字ドリルや前日に学習したプリントやノートの丸付けも終えなければならない。教材研究や評価等に費やす時間がとてつもなく多く、帰宅が遅くなるのは当然である。さらに新採用研修の時間も週に何度かあるのだから、たまったものではない。
 帰宅してのんびりしていたある夜の九時前、ほかの若手教員から電話があった。私たちが担当していたクラスの治癒証明書(インフルエンザが治癒したことを証明する保護者からの書類。ただ治癒したことと保護者名が記入してあるだけの小さな紙)が一枚見当たらないというのだ。それで私が持っていないか の確認の電話だった。別に公文書でもないし、そんなに慌てなくてもいいのにと思ったが、一応持ち物を調べ、ないことを伝えた。すると一時間ほど経って本人(児童)が家に持ち帰っていたことが判明したと連絡があった。とりあえず安心し、その夜は終わった。その時は、夜仕事で残っていた若手の職員たちが、新採用の彼を心配していっしょに探してくれたのだろうと思っていた。金曜日なので不安を抱えたまま、休日を過ごすのも気分が悪いだろうとの気遣いもあったのかもしれない。なかなか若手もやるなあと思い、私も気持ちよく眠りについた。
 ところが後日、彼と同学年の職員と飲んだ時のことだ。「あの時は参ったなあ」と彼が言うのだ。治癒証明書を探していたあの夜のことである。何でも校長も残っていて大騒ぎになったという。帰宅途中の教頭は、職場に呼び戻されたのだそうだ。これだけでもびっくりなのだが、校長は「もし見つからなかったら明日の土曜日は職員全員九時に休日出勤!」と言ったそうだ。
 それほどまでにこだわる書類でもあるまい。確かに書類の管理は大事で、だから皆計算プリント一枚でも個人情報なのでとても気を配っている。それにしても強制的な休日出勤とは…「私の方からお詫びして再度記入していただきましょう」で済む話だと思うのだが。校長は悪い人ではない。真面目な人だ。問題になった時を想定し、いつでも説明できる態勢をつくっておきたいのだろう。
 一方、文書管理の徹底を指示してくるお上はどうか。加計学園疑惑で文科省は「廃棄しました」「見付かりませんでした」「知らせなくていいと思いました」ばかりですものね。
 下に行けば行くほど大まじめに上から言われたことを守ろうとして、自分たちの首を締めいるのだ。現場で働く労働者の体や心がクタクタ・ボロボロになっている原因のひとつなっていると思う。
 校長は、ズルばかりの国家権力の下僕になるのではなく、職員と子どもを守るため、国や県からの不条理な要求に対し闘う姿勢を持って欲しいものだ。
 そして、何よりの課題は、職員を守るために組合が力をつけること。何とかしなければいけない。
 久しぶりの非常勤を終えてもずっと頭を悩ませていることである。


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