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労働新聞 2017年12月15日号 投稿・通信

熊本・大矢野原で日米共同演習
 「監視小屋」を訪ねて

 闘い続ける地元住民と交流

熊本市・緒方 孝

 十二月八日、米軍の垂直離着陸機オスプレイが参加する日米共同訓練が熊本で始まった。場所は山都町北部にある陸上自衛隊の大矢野原演習場で、南阿蘇外輪山の麓に位置する。
 ここでの日米共同訓練は一九九八年から六回目で、オスプレイの参加は二〇一四年に続き二度目となる。沖縄県以外でオスプレイを使った共同訓練が繰り返されるのは初めてで、また今回は夜間訓練も予定されており、共同訓練の常態化とオスプレイの事故に対する不安が広がり、反対の声が高まっている。こうした中、十日の日曜日に日米共同軍事演習「監視小屋」を訪ね、地元住民の声を聞いた。

機関銃、迫撃砲の音に緊張
 演習場までは熊本市から車で約一時間、知り合いの夫婦を誘い、雨が心配な空模様の中出発した。途中、熊本地震の道路崩壊でいまだに復旧しない国道四四五号線の迂回路を通って山都町に入る。ちょっとした峠を越えると、冬は雪に埋もれるだろう道を走る。国道からわき道に入り、目標の萱野公民館を目指した。
 公民館近くに車を止め、長靴に履き替え、雨が降り出したので傘もさして歩き出すと、その先に『日米共同軍事演習「監視小屋」』の標識があり、山道に入る。ここから歩いて十分ぐらいと聞いていた。監視小屋までの通路として、最近切り開いたような跡が生々しい。草刈りもさぞ大変だっただろうと思う。
 坂道をゆっくり登り始めると、「パン、パン、パン」、「タ、タ、タ」という銃声が聞こえる。「ドーン」という大きな音もして、心なしか緊張する。
 十五分ほど登ると、目の前に原野が開けた。ここが演習場だ。九州では大分県の日出生台演習場に次ぐ広さだという。
 その演習場を見下ろす位置に監視小屋があった。十五畳ほど広さで、テントのまわりを風防のビニールシートで覆ったもの。中には長机が二台と椅子が十数脚、それに夜はさぞ冷え込むのだろう、石油ストーブが三台置かれている。演習場に向けては、監視用の望遠鏡が二台据え付けられ、一人の男性がじっと覗き込んでいた。機関銃の音や砲弾の音のほうを見ながら、「実弾かなあ、着弾が見えんなあ」と言っている。
 到着したのは午後一時半ぐらいだった。熊本市から来ましたとあいさつし、差し入れのミカンを渡して雑談していると、地元の人も増え、そのほかにも家族連れなど十五人ほどでたちまちテントの中はいっぱいになってしまった。

オスプレイの夜間飛行も
 雑談していると、「昨日はオスプレイがあいさつに来たので、慌てて撮った」とスマホの写真を見せてくれた。一瞬のことだったろうに、とてもよく撮れていた。
 熊本にはオスプレイは留まらないのかと聞いたら、「米軍は日本のジェット燃料は使わないので、岩国に帰っていく、岩国まで四十五分だ」と答えてくれた。
 共同訓練については、「米軍は日本中の基地や空港を自由に使おうとしている」「先日の大分空港へのオスプレイの緊急着陸も意図的なものだ」「日米地位協定で、どこでも自由に使えるとなっていることがそもそも問題」と、日米地位協定の二条四項をあげて熱心に説明してくれた。
 また、自衛隊が導入するオスプレイの佐賀空港への配備問題でも「最初十七機と言っているが、三十四機になるという話も聞いた」「いまが大事な時で、一つでも認めればきりがなくなる」と、この課題でも闘うことを強調した。
 大矢野原演習場では、明治時代の旧陸軍演習場の時から住民の抵抗、闘いがあった。戦後の米軍駐留時には女性の不法監禁事件もあった。一九五七年に自衛隊に返還されてからは、米軍の演習で荒れた原野の修復のための闘いで補償を勝ち取った。九八年に日米共同訓練が始まると、いくつもの団体が反対運動をくり広げ、町議会も「日米共同訓練の恒常化を認めない」との決議を採択している。
 トランプ政権が東アジアの危機をあおり、安倍政権が率先して日米同盟の強化に突っ走るなかで、大矢野原はますます演習場として利用され、住民の不安は広がるだろう。
 地元で粘り強く闘っている住民の「監視小屋」を訪ねて、全県的な闘いをさらに進めなければならないと強く感じた。
 訪問の後、寄り道をして山都町の中心・浜町でおいしいラーメンを食べたあと帰路についた。
 日曜日の午後四時というのに、人通りはない。国道を走っても車とはほとんどすれ違わない。山都町は県内でも過疎化が進んでいる。二〇〇五年の町村合併から十二年の間に、人口は二万人から一万五千五百人に減ったという。過疎化の対策に演習場の「場所代」に期待する声もあるという。
 演習場問題と同時に、町が続くかどうかというさらに深刻な問題もあるなあとつくづく感じた。


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