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労働新聞 2017年8月25日号 投稿・通信

故郷の島で漁を手伝う(続)

神奈川県・青山 重雄

 ウニ漁が解禁になった日から、手伝いの私は毎日四時起きです。従兄など本職の漁師は三時半には起きます。自営業ですので朝早くても、夜遅くなっても、睡眠時間が三時間しかなくても、誰にも文句は言いません。病気になってもすべて自己責任です。今年のようにイカがとれなくてもガマンするしかありません。

良好な今年のウニ漁
 七月中旬から始まったウニ漁は、四日連続して波が高く中止となる不安な開始でしたが、その後波が穏やかな日が続き、十六日連続操業ということもあって期限内(約一カ月間)に二十三日間のウニ漁を終了することができました。途中、台風五号が日本海に進む予報であったので心配しましたが、幸い温帯低気圧に変わったこともあり、波はそれほど高くならず一日休んだだけで済みました。
 波が多少あっても、風が強くても、雨が降っても、漁師は出漁して行きます。もちろん毎年のように舟が転覆する事故もありますが、すべてを引き受けて漁に出るのです。
 ウニ漁では、小型の磯舟に船外機を付け、猛スピードで自分の得意としている海域に向かいます。どの海域のウニの色が良いのかは長年の経験やエサとなる昆布の生え具合などから判断します。
 今年は昆布の生え具合が良くウニの身入りが良いようです。実際、従兄も昨年より一日平均一キロ以上多い八キロ前後の生ウニがとれています。五年前は生ウニがキロ六千円台でしたが、買い手の競争入札が激しくなり、今年はなんとキロ一万二千円です。全島では一日六百キロ前後の生ウニが組合に出荷され、買い手の業者に引き渡されます。
 漁師は色の良い生ウニを選別して組合に持って行きますが、そこで色が悪いと判定されればB品となり価格が六割になってしまいます。七月まではこのB品を業者が買い取っていましたが、八月になって買わなくなりました。こうなるとB品を持ってきた漁師は、自分で販売先を見つけるか、土産用に塩漬け加工したり、世話になっている人に配ったりするしかありません。
 また、漁師は組合にすべての生ウニを出荷しているわけではなく、独自に島民から注文を受け小売をしている人がほとんどのようです。塩水漬けのパック商品にしたり、瓶詰めの塩漬けウニにしたりして付加価値を高めて販売するなどしています。

島の未来とウニ資源
 この島では、二十四年前の大地震と津波の後、一部の家は高台に集団移転し、港に近い場所を希望した家は五メートルほど地盤をかさ上げしたうえで再建しました。港も沖合いに防波堤を延ばし、漁船を再建造する漁師には補助金が出ました。こうして行政は漁村の維持に力を入れてきました。
 しかし現状をみると、その試みはうまくいっているとは言えません。やはりいろいろな漁種の漁獲量減少と公務員以外の仕事が少ないためか、人口が減っています。若者で漁師の後継者になっている者は一握りです。漁師の高齢化が進み、漁船の数も激減しています。
 イカ釣り漁船の所有者は圧倒的に六十五歳以上の漁師です。今年もこの集落から二艘のイカ釣り漁船が消えました。いずれも七十歳代の漁師の船です。イカの漁獲量が回復しないため、今年は島の人でもイカの刺身ほとんど口にできませんでした。
 実家の近くの磯舟を引き上げる浜の斜路にも随分空きが目立ってきました。やむなく引退した漁師の磯舟が陸に引き上げられ何艘も草むらに寂しく置かれています。
 一方で、最近の比較的若手の漁師は設備費に少ない投資で済む小型のつぶかご船を持ち、イカ漁には見向きもしません。実際この三年の実績を見れば、そうした漁師が大きな収入を上げています。この夏はウニ漁とツブ貝漁を掛け持ちでやった漁師はかなりの収入になったようです。ウニの作業が終わる頃にツブ貝漁に行くのです。
 ウニは島民にとって、特に漁師にとっては大切な資源、現金収入源です。それを守るため、漁師一人あたりの一日の重量にも制限があります。また、ウニの漁期が終わった後の八月中旬からは来年のために四日ほどウニの移殖作業が義務付けられています。これは身入りの良くない海域からウニを取り、身入りの良い海域へ、あるいは自分がよく行く海域へウニを放ちます。また潜水部会の人に依頼し同じような移殖作業もしています。その数は数十万個になるそうです。
 いつまでも資源があることが保証されているわけではありません。ウニの養殖もいくらか始まっていますが、まだまだの現状のようです。島の今後のためにも、ウニの資源管理は重要です。


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