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労働新聞 2017年7月5日号 投稿・通信

佐賀空港への
部隊移駐を機に考える

海苔養殖に貢献したドリュー女史

熊本県・村越 吉正

   梅雨空のもと、紫陽花(アジサイ)が鮮やかな色をつけています。熊本県宇土市の住吉自然公園は、私の家から車で一時間足らずのところにあります。天草へ続く宇土半島の付け根、有明海に面したこの公園はアジサイの名所として県民に広く親しまれています。
 かつては小島だったのですが今は地続きで、島の周回路には色とりどりに約二千株のアジサイが咲き誇り、この時期には大勢の人たちでにぎわいます。小高い山頂付近には日本最古の住吉灯台(今は新しいものに改築されています)や九百年も前に航海安全の祈願所として創建された住吉神社があり、有明海から熊本に入る玄関口として、海上航路の要衝でもありました。
 宇土半島の北面に広がる有明海では海苔の養殖が盛んに行われ、佐賀、福岡、熊本の三県で日本の海苔養殖の半分を占める日本一の産地となっています。普段は人影も少なくひっそりとした住吉神社の一角、有明海が一望できる場所にキャサリン・メアリー・ドリュー=ベーカー(一九〇一〜五七)という英国人女性のレリーフが埋め込まれたささやかな顕彰碑が建っています。
 日本人は古くから海苔を食べてはいましたが、採集が大変でとても貴重な食べ物でしたので、平安や鎌倉時代には貴族しか食べることが許されませんでした。江戸時代初期に、竹や木の枝をノリヒビとして干潟に立てて養殖する方法が始まり、次第に養殖技術も改良され「江戸前海苔」として、一部の江戸庶民の口にも入るようになりました。
 しかし、養殖といっても海苔の種は確実につくものではなく、海苔の生産は自然まかせでとても不安定でした。海苔は「運草」とも呼ばれ、その養殖は投機的要素の強いものでした。というのも、海苔の胞子が春に海苔の成体から放出され、秋になるとどこからともなくやって来てノリヒビにつくことは分かっていましたが、夏の間、どこにいるのか、どう過ごすのかは、さまざまな大学の研究でもまったく不明でした。日本で海苔養殖が始まって三百年間も謎だった海苔の生態を解明したのが、ドリュー女史でした。
 英国・マンチェスター大学で海藻の研究をしていたドリュー女史は、一九四九年のある朝、海岸を散歩していてカキ殻に黒い糸状のものを見つけました。それはカキの殻に潜った海苔の糸状体(コンコセリス)でした。海苔の胞子が貝殻に潜って夏を過ごすことを発見したのです。ドリュー女史は、四九年十月に科学雑誌「ネイチャー」に論文を発表、まだ英国と日本の国交は回復していませんでしたが、親交のあった九州大学の瀬川宗吉教授にこのことを伝えました。そして瀬川教授から熊本県水産試験場の太田扶桑男技師にこれが紹介されました。太田技師による不眠不休ともいえる研究と試行錯誤の結果、五三年、ついに海苔の人工採苗に成功することができました。これは海苔養殖における革命的な技術革新でした。太田技師は当時の熊本県知事から、特許を取得することを勧められましたが、「そんなことをすれば漁民に新たな負担を強いることになる」といって断ったそうです。当時の沿岸漁民の生活は苦しく、戦後の食糧増産のための農薬の大量使用や相次ぐ洪水被害などで漁場は荒れ果てていました。太田技師が開発した人工採苗技術はまたたく間に全国に広がり、その後の先人たちの努力と幾多の養殖技術の改良などもあり、こんにちの海苔養殖の発展につながっているのです。
 こうしてまさにドリュー女史は人工採苗の生みの親、海苔養殖の恩人として、いまでも全国の海苔漁業者の間に語り継がれています。ドリュー女史は、五七年九月十四日に亡くなりましたが、太田技師らが発起人となって、全国の海苔漁業者らに呼びかけられた募金によってこの顕彰碑が建立されました。月命日の六三年四月十四日に除幕式が行なわれ、女史の夫、故ライト・ベーカー氏も漁民の行為に感動して出席し、「日本政府ではなく、漁民たちが建てたから出席した」と話したそうです。そして、女史が大学から学位を授与されたことを証するガウンと帽子を漁民に提供されました。ようやく海苔養殖が軌道に乗り、漁業者の生活が安定してくるのはこの頃からで、以来、毎年四月十四日には「ドリュー祭」が海苔漁業者ら関係者が出席して開かれ、五十余年後のこんにちまで続いています。
 最近ではコンビニで買うおにぎりも海苔が巻けるような包装になっており、海苔の消費も増え続け、いわば当たり前のように食べている海苔ですが、こうしてみますと、私たちが気軽に口にできるようになるのは、第二次世界大戦後しばらく経ってからですから、まだ日は浅いのです。
 先日の新聞に、海苔の「原料価格」が三十年ぶりの高値圏で推移し、消費者に販売する小売価格も五〜一五%上昇しているという記事が出ていました。
 海苔の生育に関わる海水温の上昇や養殖業者の高齢化などが響いているとありましたが、確かに二〇一六年漁期には、東京湾などが壊滅的に不漁で、海苔の買付業者がどっと九州に押し寄せてきて「最近ではいちばんの高値になった」と、ある海苔漁業者は話してくれました。海苔は海水温や塩分濃度などに微妙に左右される生物なのです。
 いま海苔養殖では日本一の漁場である佐賀市川副町にある佐賀空港への自衛隊の垂直離着陸輸送機オスプレイ配備やヘリコプター部隊の移駐が計画され、漁業者をはじめ地元住民が反対の声を上げています。
 有明海の環境や生態系に大きな影響を及ぼしてきた筑後大堰や諫早干拓などで歴代政府から裏切られ続けてきた漁業者らが「絶対に許さない」と反対の声を上げるのは当然です。佐賀県知事は「国防には協力する」と言っているそうですが、守るべき国が荒れ果て、県民生活が破壊されて「何が国防か」と言いたいです。
 ささやかな顕彰碑ですが、いろんな歴史を教えてくれる顕彰碑です。


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