労働新聞 2004年11月25日号 通信・投稿

海上で体張って阻止行動
調査強行で緊迫する現地
船とカヌーで激しい攻防戦

辺野古からのメッセージ

沖縄 宮城 ちとせ

 政府は1999年、普天間基地代替施設を辺野古沖とすると、閣議決定しました。新基地が建設されると、辺野古沖は巨大基地と化し、米国の対テロ戦争の出撃基地となります。市民は常に事故かテロに脅かされます。埋め立てで辺野古と大浦の海は完全に消滅し、取り返しのつかない環境破壊をもたらします。
 さらにボーリング調査には8億円かかり、落札は本土企業へ。本体工事は1兆円の巨費が投じられるともいわれ、このカネはすべて日本政府が負担します。つまり、私たちの税金で米国の基地をつくるのです。
 基地被害、環境破壊は住民に負わせ、カネは本土企業に、戦争のための基地は米国に与える。日本政府のいう「沖縄県民の負担軽減」とか「住民の安全確保」とかは、新基地建設のための住民だましの大ウソです。
 私は99年から、デモや集会に参加して来ました。そして、4月19日、那覇防衛施設局によるボーリング調査、資材カード建設強行以来、座り込み阻止行動を行っています。8月13日の米軍ヘリ墜落事故を口実に、何と政府はボーリング調査(潜水調査)強行を図ってきたのです。

■緊迫する海上での闘い

 11月16日には、海底を掘削するボーリング調査に必要な足場を現場海域に移送しました。建設する代替施設の護岸構造を検討するのが目的です。
 反対派は抗議船4隻とカヌー14艇を出しました。大型台船の前へ飛び込み、行く手を阻止しようとした平和市民連絡会の共同代表・平良夏芽牧師は、「命の危険にかかわるほど接近しても、船を止めなかった。迫る船も怖かったが、それを平然と見ている作業員の姿がもっと恐ろしかった」とうなだれました。
 私は、潜水調査(磁気探査も含む)の時、3回抗議船に乗りました。施設局の調査船のダイバーが潜ると、こちらのダイバーも潜り、海中で「建設止めろ」のボードを相手に見せるのです。
 警戒船と呼ばれる施設局が雇った辺野古の漁船が、私たちの行く手を何度も阻み、調査船に近づけないことも多くありました。
 1回目の時、私がマイクで「沖縄に基地をつくらせ人殺しに加担したくありません。調査を止めてください」と言うと、漁民が「うるさい、帰れ」と、怒鳴り返してきました。私は怖くなり、思わず顔をそむけてしまいました。施設局はわざわざ地元の漁民を警戒船として雇い、反対派と地元の対立構図をつくっているのです。
 2回目からは「私は大義を貫き通しているんだ」と自分自身に言い聞かせ、現実を直視できました。
 カヌー隊も体を張って阻止行動をしています。抗議船が右側と左側に5艇ずつカヌーをヒモでつなぎ、調査船の近くまで引っ張っていきます。そこでヒモをはずし、単独の阻止行動をします。転覆も何度があり、怖かったと話す女性もいました。転覆したカヌーを1人で起こし乗ることができて、カヌー隊となれます。
 私は11月14日の練習日に、初めてカヌーに乗りました。カヌー隊の人は土・日は常時、初心者を教えています。大海で、自己の力で動き回るのはとても気持ちのよいものでした。カヌー隊の1人、東京から来た牧師をめざす男性は、阻止行動ではなく沖縄の海で心から楽しく遊べる日が早く来てほしいと言いました。まったく同感です。これから転覆練習をして、カヌー隊として行動していきます。

■思いを共有し助け合う

 辺野古の座り込みも213日となり、多くの出会いがあります。県外から来て近くの公園で野宿していた若い男性も誘われて参加し、今はカヌー隊として欠かせない存在です。
 辺野古の海を写真で撮っていた具志川市の若い男性は、「この海の変わり果てた姿を見たくない」と、今はカヌー隊のリーダー的存在です。彼の表情は日々厳しさを増しています。カヌー隊としては限界があると、ダイビングの資格を取り始める男性も2、3人出てきました。皆、思いを共有し、それぞれの行動に触発され、継続できていると思います。
 私も辺野古のすぐ隣の豊原から1人で参加している同年代の女性と出会いました。2日続けて行動する時は、彼女の家に泊まるようになりました。彼女は一生の友となるでしょう。
 皆が基地をつくらせない気持ちを共有し、助け合い、前進しているのです。阻止闘争は個々の成長に確実につながっています。横暴な政治に立ち向かうため、これからも阻止行動に踏ん張ることで、世論にメッセージを発信していきます。
    (11月20日記)


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