労働新聞 2004年10月5日号 通信・投稿

いまだ未完の映画「草の乱」

秩父事件の映像化は成功したか?

岡島 吾郎

 労働新聞9月15日号に神山征二郎監督「草の乱」の映画紹介があった。神山監督は、前作「郡上一揆」をはじめ、手ごたえのある良心的作品をつくり続けている。私のもっとも注目している監督の1人である。「郡上一揆」は農民の闘いを生き生きと再現させ、あの「七人の侍」を超えるのではないかとさえ思った。私は岐阜・郡上八幡にも足を運んだ。
 私はこの「草の乱」に、エキストラとして参加した。だから、今回は前作以上に熱い期待をもって、2回試写を見た。だが、観賞後の人びとの声は不評であった。「エキストラは目が輝いていたが、俳優は元気がなかった」「農民の姿が描かれていない」「2時間中あっちへ走りこっちへ走りしていた」…。私も残念ながらほぼ同感であった。
 私が秩父困民党に惹(ひ)かれるただ1点は、日本の近現代史の中で農民の誇りと志の高さをあざやかに甦(よみがえ)させられたところにある。私たちに闘う自信と希望を与え続けている。
 中国・黄巾の乱や高杉晋作の奇兵隊など、武装農民の闘いは、時代と国を越え、農民、民衆解放の大義としてその軍律は一様にきわめて厳しいものであった。その典型として中国人民解放軍の三大規律八項注意があるが、吉田町の小さな資料館に行って困民党革命軍の軍律に触れ、パリ・コミューンを思わせる秩父事件がもつ世界史的広がりを実感し、改めて胸を打たれた。
 今なお草深い秩父郡吉田町、長く「暴徒」として歴史から切り捨てられてきた困民党の実相を町をあげて復権しようとし、この「草の乱」撮影にも全面協力した。
 映画冒頭部分、自由党の入党工作シーンが前面に描かれていたが、歴史的事実としても中心は農民自身であり、この視点が弱いのではないか。
 革命軍の軍律を象徴する隣家への延焼を防ぐ濡れムシロのシーンや椋神社結集のクライマックスシーンは、より丁寧に描いてもよかった。逆に困民党の敗走場面を長々と悲惨に描く必要があったのか。
 歴史を切り開こうとした120年前の祖先の決死の思いと無念さを今に引き継ごうとしている吉田町はじめ秩父の人びとの願い。明治の時代を根っこから揺るがそうとした「秩父事件」のもつテーマの大きさ。この「草の乱」はこれらに十分こたえたか、映画製作の意図は壮としながらも、私はいまだ「未完」だと言いたい。
 だが、若い人は秩父事件を知る機会も少ないと思う。秩父事件を知るためにぜひ1度見てほしい。


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