労働新聞 2004年9月25日号 通信・投稿

がんばれ、選手会
ストライキは労働者の権利

紺野 綾美

 私はプロ野球ファンではないが、今回の選手会のストライキは応援したいと思う。なぜかというと、経営側があまりにも身勝手だからだ。合併で球団を1つ減らした上に、さらに球団の合併話を進めようとしている。さらには、買収や新球団の新設は認めないという。仕事を失う選手たちのことなんか知っちゃいないという態度は横暴である。
 各球団の赤字が累積しているのは、経営に問題があるからだ。経営者の責任こそが問われなければならないのに、問題をすり替えて、赤字の責任を選手とファンに押しつけている。そして、選手会にストの損害賠償を求めるという開き直り。選手会は労働組合として認められているのだから、憲法で保障された権利を遂行するのに、どうして賠償責任を負うことになるんだ? そもそも経営側が選手会の要求に誠実にこたえないから、選手たちが団結してやむなくストを行っているわけで、ストは立場の弱い労働者に認めれられた当然の権利だ。それを「違法」ストと呼ぶ感覚は、白を黒と言いくるめるようなハレンチなものだ。
 こういう経営者の「責任すり替え」体質は、なにもプロ野球界だけではなく、日本の企業一般にも見受けられる。赤字経営の責任をとらずにリストラを強行する経営者。労働者は抵抗するすべもなく泣く泣く会社を解雇される。労働組合はといえば、人員削減に手を貸すのが当たり前のようになっている。
 日本中がこんな風潮に染まっている中で、今回の選手会のストは大きな話題になった。
 労働者が経営者と闘うためには、労働組合に入って仲間と団結し、必要な時にはストを行使してこそ、経営者と対等の立場で闘うことができることを示した。なにも労働者が一方的に犠牲になり、泣き寝入りすることはないということだ。そして、労働者は闘う手段として「スト権」を持っているということだ。
 世論調査によると、選手会のストを国民の8割近くが支持しているという。ストという手段を多くの国民が支持していることは頼もしい。「ストライキは時代遅れ」と公言する労組幹部もいるようだが、そんなことをいう幹部は経営者の手先であることを自ら宣伝しているようなものだ。
 かつての労働運動は国民的な政治課題でも、ゼネストを組織して闘い、政治を動かしてきたものだ。労働組合は国民がもっとも切実な平和や生活の課題で、ストを組織して闘ってほしいと思う。


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