労働新聞 2004年9月25日号 通信・投稿

米軍ヘリ墜落事件

抗議できない政府に怒り
伊波・宜野湾市長の講演
基地撤去の熱気伝わる

神奈川・山崎 和代

 宜野湾市民大会を前にした9月9日、沖縄選出の国会議員の呼びかけによる伊波・宜野湾市長の話を聞く集会が、東京で開かれました。米軍ヘリ墜落は絶対に許せないという思いで、集会に参加しました。国会議事堂近くの星陵会館は、仕事帰りの労組員や市民でいっぱいでした。
 司会の糸数慶子・参議院議員は、その日の朝に強行された辺野古沖のボーリング調査のくい打ちへの抗議行動に参加してから、東京に駆けつけたということで、現地の緊張した雰囲気が伝わってきます。ヘリ基地建設に反対する座り込みも150日近く続いており、沖縄県民の県内移設、基地強化に強く反対して闘っているのです。
 続いて伊波市長の話が始まりました。伊波さんは5年以内の普天間返還を掲げて、昨年4月に市長に当選しています。市長は地図を広げて、住宅密集地の真ん中にある普天間基地の危険性をまず訴えました。基地の周辺には12の小学校、50の保育園、2つの大学があるそうです。
 また、飛行回数は97年は約2万回(1日平均64回)から03年には3万5000回(同106回)に増え、ますます危険な状況になっています。世界で90の米軍基地が閉鎖された結果、そのしわ寄せが普天間に集中しているのです。
 今回の事故は起こるべくして起こったものでした。米軍関係者も「ヘリは落ちるもの」だと指摘しているそうです。被害の状況も詳しく説明してくれました。偶然に壁の陰にいたとか、破片がわずかにそれたとか、人身への被害がなかったことは本当に奇跡的なことだったことが分かります。伊波市長は「ヘリは20メートルもある大きなもので、例えて言えば25メータープールが落ちてきたようなもの」との指摘は、事故のものすごさを感じさせます。
 伊波市長は稲嶺知事の県内移設政策を、強く批判しています。知事はヘリ基地を10年以上かかってつくって軍民共用で15年使うと言っていますが、これでは今後30年近く米軍基地を容認することになります。軍政下でさえ27年だったことを考えると、とても認められるものではないということです。市長は「普天間から辺野古を見てほしい。危険な基地はいらないということだ。事故を通して県内移設ノーの声がわきあがっている」と述べていました。
 そして、今回の事故に対する政府の姿勢も鋭く批判しています。小泉首相は現場に出向くこともなく、夏休みを過ごし、その後に北方領土を視察。「沖縄の海兵隊は削減できる状況にあるのに政府は何のアクションも起こさないし、今回の事故では日本の主権が排除された。日米地位協定とは何かを示しており、米国に抵抗もできないことがいっそう明らかになった。政府のあるべき姿を求めなければならない」との言葉が印象に残りました。
 9月12日の宜野湾市民大会では3万人が抗議の声を上げました。事故を通して、稲嶺県政、政府への批判が高まっています。こうした中で、小泉首相は普天間基地が危険だから辺野古への移設を急ぐと言っていますが、その米国追随ぶりにはあきれてしまいます。体を張ってでも、国民の要求を米国に突きつけるのが、日本の首相のとるべき態度でしょう。
 事故後26機のヘリと2000人の海兵隊がイラクへ移動したそうです。在日米軍基地は、米国のイラク侵略戦争の補給基地となっています。沖縄と連帯して米軍基地撤去の運動を進めていくことは、日本の今後にとってきわめて重要な課題だと痛感しました。


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