労働新聞 2004年9月5日号 通信・投稿

革命の事業に定年なし
世直しの決意固める

介護現場に社会の矛盾
−−怒りこそが闘いのバネ

医療施設労働者 成田 昌明

 私はこの十一月で定年になります。職場は、一族経営の中規模病院で、私は介護病棟で働いています。今の職場には四十歳のとき就職し、以後二十年弱、補助看として、お年寄りの世話をしてきました。寝たきり老人がほとんどで、毎日大小便で汚れたオムツを換えています。最初のころは布オムツが多かったのですがいつのまにか紙オムツだけになり、毎日汚れた紙オムツが山のように出てきます。
 今は平気ですが、最初は臭くて汚い仕事に心理的にも抵抗がありました。当然、賃金も安かったです。別にオムツ換えがいやというわけではなかったのですが、無資格者にやらせておけばよいと見られているのがいやだったのです。労働組合に入り、労働条件の向上とともに労働者の誇りのためにも闘ってきました。
 職業に貴賎はないといいますが、実際には底辺の労働者によって支えられているのではないでしょうか。政府の一部に「介護の仕事に外国人労働者を受け入れる」案があるそうですが、問題がありそうです。
 また、一昔前まで、介護は女性の仕事と思われていました。家庭で、嫁が舅、姑の介護を受け持っていました。しかし、八十、九十歳の親を介護する嫁や娘、息子たちが高齢化し、家庭での介護ができなくなっています。今後、核家族化、少子高齢化が進むとますます在宅での介護は難しくなるでしょう。
 政府は在宅介護に力を入れていますが、医療、福祉の予算を減らすためにそうしているのでしょうか、地域、家庭の介護力をそのままにしたままでは、よい解決策とはいえません。そうかといって、医療、福祉産業によって高齢者がもうけの対象とされている現状にも問題があります。
 いまや町からお年寄りがいなくなっているのです。年寄りは老健施設やグループホーム、デイケアに送り込まれ、「隔離」されています。地域から年寄りがさらわれているのです。お年寄りは、できれば住み慣れた町で過ごしたいと思っているだろうと思います。
 社会の矛盾が介護の現場にも押し寄せています。私たちは仕事として割り切っていますが、お年寄りも、見かけは立派な施設に引き取られても、他人に世話をしてもらうのは気兼ねするでしょう。
 お年寄り、家族、福祉労働者三者三様のやり場のない怒り、きれい事では済まされぬ現実が闘いのバネになります。
 それぞれの人生の最終期をお世話しつつ、すでに他界したわが親のことを思い浮かべ、定年を迎えるわが人生を振り返り、階級闘争の反映である、人の世の苦しみ、喜びに思いを馳(は)せ、世直しの決意を固める今日このごろです。この仕事は定年になっても、革命の事業に定年はありませんから。


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