労働新聞 2004年9月5日号 通信・投稿

映画紹介「華氏911」
マイケル・ムーア監督

イラク戦争を痛烈に批判

 日本からはなかなか見えない米国社会の内情を知ることができるドキュメンタリー映画だ。2000年の米大統領選挙から04年のイラク戦争まで、豊富なニュース映像と、ムーア監督の取材映像・ナレーションで構成されている。その語り口は痛快で、挑発的だ。米国内には「イラク戦争は何のための戦争なのか?」という素朴な疑問がじわじわと広がっている。その現実を反映した作品といえよう。
   *   *
 この4年間は夢だったのか、それとも現実だったのか…2000年フロリダで辛勝して米大統領に当選したブッシュだが、その選挙結果への疑問と不正選挙を批判する証言が続く。大統領就任式では、沿道に抗議のデモ隊があふれ、ブッシュが乗った車に生卵が投げつけられるという前代未聞のスタートだった。
 大統領になったブッシュは、長い休暇を楽しむ。そんな中で9・ 11が起こるが、ブッシュの対応は極めて鈍い。ブッシュ一家はサウジアラビアの支配階級と深い関係をもっており、あのオサマ・ビンラディンの資金もブッシュ関連企業に流れているという。
 ブッシュは事件直後、「9・11 にイラクが関与しているという証拠」を持ってくるように命令を出す。こうしてイラク戦争が着々と準備されていくが、それはまず、米国民に執ように「テロの恐怖」を植え付けていくところから始まった。市民生活も戦時体制に組み込まれ、愛国者法が成立。市民運動の中にも警察のスパイが潜入し、市民の生活は緊張したものになっていく。
 そして、03年のイラク侵略開始、戦争終結宣言、その後の抵抗闘争の激化。平和なイラクが一転して戦場となり、子供たちや民間人が犠牲になるせい惨な場面、黒焦げになった米兵の死体が宙づりにされる場面も映し出される。
 米国では兵力不足が深刻だ。政府は州兵を動因し、さらに貧困層の若者をターゲットに入隊を勧誘していく。失業者があふれる町は、町自体が廃虚のようにさびれている。学校に行きたい若者たちは、奨学金を得るために軍隊に志願するしかない。
 息子をイラク戦争で亡くした母親が登場する。彼女は息子に入隊を勧め、反戦運動家を批判していたが、息子の死に直面し、現実を知る。「息子を戦場に送ったのはアルカーイダではなく、政府だ」と、ホワイトハウスに向かって怒りの声を上げた。また、戦場の若者は「私の魂は死んだ。魂があれば、イラク人を殺せない」とつぶやく…。
   *   *
 ムーア監督のブッシュ批判はいささか感情的であり、この面だけがおもしろおかしく強調されがちだ。しかし、映画では米国の1部特権階級が自分たちの利益のためにイラク戦争を企て、貧困層の若者たちが兵隊として戦場で使い捨てられるという、米国社会の構図が描き出されていく。行きたくもない戦争に貧しい若者たちが動員されなければならない、理不尽な階級社会へのムーア監督の怒りが印象に残った。
 だが、残念なことにこの映画では「なぜ9・11が起こったのか?」というもっとも根本的な疑問には答えがない。すべてのことを「テロリスト」という言葉でひとくくりにし、安易に片付けてしまっている。「テロリスト」を生む土壌を、米国自身が世界につくっていることこそが問われなければならない。
 「ブッシュがバカでエゴイストだからイラク戦争が起こった」という論理は、単純で分かりやすいので、米国人受けするだろう。しかし、世界の多くの人はそんなふうには見ていない。大統領が代われば平和な時代がくるかのような印象を演出するムーア監督は、やはり「愛国的米国人」なのだ。ケリー大統領が登場したとしても、イラク戦争は継続されるだろう。その時、ムーア監督はだれを批判し、どんな作品をつくるのだろうか。
 世界的な反米気運の高まりの中で、この作品は「米国とイラク戦争を批判した映画」として各国で話題を呼んでいる。制作者の意図を超えた反響に、ムーア監督自身がいちばん戸惑っているかもしれない。   (U)

【各地で上映中】


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2004