労働新聞 2004年8月5日号 通信・投稿
能登は祭りの国
今も色濃く残る朝鮮文化
石川・本郷 富男
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年間を通して、四季折々の祭りが能登の各地で行われています。とりわけ、7月から10月にかけては、ほぼ毎日のように、どこかで祭りがあります。祭りを見て歩くのは能登を知る上で、また、地域の歴史、民俗を知る上でも有意義なことです。
しかし、残念ながら、特にどの祭りがいちばん見ごたえがあるかということを紹介できるほど、私は祭りを見歩いていません。それでも私の住む近辺にも大きな祭りがいくつかあります。
先日、友人が東京から来た折に、隣町中島町の「祭り会館」をいっしょに訪ね、その歴史も含めて祭りの認識を新たにしました。
ここの「祭り会館」では、等身大の模型を使って祭りを再現しており、鉦(かね)、太鼓の音で、祭りの中に引き込まれます。
ここでは、能登最大の秋祭りとして知られているお熊甲祭りを紹介しましょう。また、この祭りは全国でもここだけという「枠旗祭り」であり、収穫を喜び、豊作を神に感謝する祭りです。毎年9月20日に開催されるので、20日(はつか)祭りとも言われます。 神社の名前は久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこじんじゃ)といい、祭神は阿良加志比古神と都怒加阿良斯止(つぬがあらしと)の2神です。字から想像できるように渡来系の南朝鮮の王子を祀ってあります。また、この神社の開闢(かいびゃく)は2世紀から3世紀ころと言われています。
当時すでに大陸や朝鮮から多くの人や文化が伝わってきており、そのことは能登の多くの神社の祭神に渡来系人格神を祀る神社の存在によって明らかとなっています。かつてこの地を訪れた作家の金達寿は、日本の中の朝鮮文化だと指摘しています。
私の住む近所に、新羅の民族名に関係した地名が多くあります。また、川の上流に渡来民が祖神としてあがめ祀(まつ)ってきた神を祭神とする白鬚神社があります。この神々は今の世の中をどうみているのか、いつも気になります。
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