労働新聞 2004年7月15日号 通信・投稿

問題なのは教師ですか?

自信失い体調崩す教師が増加

生徒に説明できぬイラク戦争

中学校教員・野上 俊夫

 今、精神的な病に見舞われる教師が増えています。都市部の学校とか地方の学校とか地域的な特徴があるわけでもなく、全国的な傾向です。
 私のいる学校でも、もう1年近く休職している教師がいます。皆さんは、新任の若い先生かと思うかもしれませんが、その人は20年近いベテランの部類に入る人です。
 つい最近、その先生は職場復帰に向けて、1日ではなく短時間の授業を受け持ちながら「慣らし」に入っています。あせらず、何とか前のように職場復帰ができればと願っています。学校側もそうですが、同僚の教師も同じように受け止めているのが幸いです。
 その先生は、病気についてあまり多くを話しませんが、ポツリと「自信がなくなった」ともらしたことがあります。同僚の教師は皆、他人事ではないと思っています。
 私のいる学校は県のはずれにある、いわば田舎に属する所にあります。幸いにして、「いじめ」や「不良問題」の少ない学校ですが、教師がゆとりを持って生徒に接し、生徒の立場に立った工夫された授業が行われているかといえばそうではありません。
 私は、こうした状況になったのには二つの原因があると考えています。一つは、かつての文部省による教育課程、内容のめまぐるしい変更です。教師と生徒、現場を無視し、文部省が勝手に「こうあるべき」という頭で考えた内容を押し付けてくるからです。特に、「総合学習」が導入されてから教育現場で混乱が起きています。

現場無視の文科省が混乱生む

 今、私のいる学校で実践している「環境教育」というのがあります。これは、どの学校でも行っているわけではなく、県の教育委員会が学校を指定して、従来の授業とは別に行わせているものです。県の教育委員会からすれば、わが県ではこういうこともやっていると自慢したいのでしょう。中身の良し悪しは別として、ただでさえ余裕のない生徒と教師に、新たな「重荷」がふりかかってくるのです。
 そして私は、「環境教育」の担当教師となりました。委員会のメンバーをつのり、会議を重ね、どんな中身にするか資料を探し、頭を悩ませます。授業、テスト、クラブ活動、どれも手を抜けない、ましてや人員不足の中で手いっぱいの状態の中で新しい教育が導入されたのです。

教師たちの深刻なジレンマ

 もう一つ教師がジレンマに陥っているのは、現実にこの社会で進んでいることが生徒に説明がつかないということです。同僚の教師と話をしていて、「戦争はいけないと教えるのが当たり前のことなのに、どう説明したらよいんでしょうかね」と、イラク戦争のことが話題になりました。「学校に学費を払えない生徒がどの学校にもいるでしょう。社会状況が悪くなっているとしか思えないよね」という話もあります。
 言うまでもなく、教師は生徒が成長し、きちんと社会に対応でき、社会に貢献できる人間になるようにと願っています。この社会に送り出す、このことに「自信が持てなくなった」となるのは、ごく当然ではないでしょうか。
 よく、「問題教師」とか、「不適格教師」という言葉がマスコミで飛び交っていますが、「問題なのは教師ですか、文部科学省ですか、この社会ですか」と、声を大にして叫びたいです。


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