労働新聞 2004年6月25日号 通信・投稿

映画紹介

ドキュメンタリー映画
「花はんめ」

在日一世の青春ドキュメンタリー

 「私は78歳まで働いて、8人の子供を育てたよ」ーーいつも人の輪の中心にいる孫分玉さんの手は、爪が分厚く変形し、まさに労働者の手だ。その手を見れば、彼女の人生の厳しさを想像することができる。
 彼女は17歳で日本に来て、親が決めた人と結婚。福岡の炭坑で働いた。日本人にいじめられた記憶を語る時には、今も怒りで涙があふれる。年老いた今、彼女の手は花を摘み取って髪に差し、手料理を仲間たちにごちそうするために、忙しく働く…。
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 このドキュメンタリーは、神奈川県川崎市桜本に住む在日朝鮮人一世たちの、今を描いた作品だ。桜本は在日韓国・朝鮮人が多く暮らす町である。1999年から4年間の歳月をかけて撮影された。
 「はんめ」はおばあさんのことをさす。「花はんめ」というタイトルは桜本のおばあちゃんというような意味合いだろう。孫分玉さんの八畳のアパートは、はんめたちのたまり場になっている。ここで彼女たちは笑い、歌い、食べて、語り合う。日本語の会話はいつしか朝鮮語になり、にぎやかで楽しい時が過ぎる。歌と踊りが大好きな金順女さんも常連の一人だ。
 80歳を過ぎたはんめたちはみんな孤独だ。だから孫さんのところに集まる。そして、たまに羽目をはずして大騒ぎする。買い物やプール遊び、ロックに合わせて踊ったり歌ったり。まるで15、6歳の少女のように恥じらい、笑う。まるで、今が彼女たちの青春であるかのように。
 彼女たちが楽しみにしているのは、地域のふれあい館で毎週水曜日に開かれる「トラヂの会」だ。在日二世や三世が中心となって運営している。元気のないはんめたちも、ここに来ると元気になって家に帰る。そんな日常の中で、はんめたちは歳を重ね、2001年11月、金順女さんが亡くなった…?。
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 男を寄せ付けないはんめたちに、金聖雄監督は果敢に挑んで、撮影を続けていく。     
 金監督はこの作品に寄せる思いを、こう語っている。
 「1999年夏 私の母、金正順は病死しました。 77年の生涯 母はしあわせだったのだろうか。末っ子で苦労をかけた私には、悔いが残りました。何もしてあげられなかったと… 母や在日一世たちが 歴史の渦に飲み込まれながらも 日本という舞台でたしかに生きた、生きているというあかしを残したい。 この映画は私のそんな思いを 仲間たちの力を借りてかたちにしたものです。 私に出来ることは、小さなお墓を創るような気持ちで、映画をつくることでした」
 はんめたちの日常を映し出す中から、彼女たちの人生、歴史に翻弄(ほんろう)された悲しみや怒りがみごとに浮かび上がってくる。彼女たちの悲しみの根源に、日本の植民地支配があったことを私たちは忘れてはならない。
 はんめたちの存在から生まれたこの作品は、哀しさと楽しさを絶妙に表現している。ドキュメンタリー映画のもつ「表現力」を、再確認させてくれる作品だ。(U)

上映実行委員会
03・3355・8702


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