労働新聞 2004年6月15日号 通信・投稿

国民の視点に立つ福祉を
児童福祉施設はどこも満杯

職員の労働条件も過酷

児童福祉施設職員・沢木 左千男

 年金問題をはじめ、いまや福祉問題で大にぎわいである。長引く不況に併せて、少子化や高齢化が急激に進むため、これまでの安易な福祉体制では対応できないからなのであろう。
 戦後、日本社会は紆余曲折(うよきょくせつ)はあったにせよ、経済状況はそこまで根本を揺さぶられるようなことがなかったため、福祉にも多少の余裕があったのだろうか。それこそ何らかのハンデをもつ人たちを施設や社会の陰に隔離することによって、ごまかしごまかしではあるが、ここまでなんとかやってこれたとも言える。
 しかし、グローバルな社会となり、小泉政権が地方切り捨て、待ったなしの改革を始めた今、避けては通れない血まみれの状態になっている。

問題山積の児童福祉施設

 児童福祉施設では、全国的にどの施設も満杯状態である。地域(家庭)で大変な思いをして傷ついた子供たちが、安住の地を求めて施設にやって来る。しかし、当の児童福祉施設はそうした子供たちを専門的に十分な形で受け入れられる状態とはいえない。戦後、何度か制度の改善がなされはいるものの、子供たちの生活空間は基本的には変わっていない。子供たちは大変窮屈な中で生活をしている。
 児童福祉施設には、たくさんの課題が山積している。窮地を脱した子供たちの安全確保とトラウマ治療。また家族再生化の取り組み。虐待以外の子らへの発達的課題への試みや身体的援助を必要とするものなど。加えて一人ひとりの生活習慣をはじめとするしつけ。将来的な自立と自律へ向けての指導など、あげればきりがない。
 現実は、1人の職員が18人の子供たちを相手にしなければならないのである。狭い空間であるために、子供たちはお互いの抱える課題状況の違いのためどうしてもぶつかり合ってしまう。保育士は2、3年が寿命で、経験の浅い人が多い。
 虐待を受けた子供たちはいろんなトラウマを抱えている。そうした精神的なケアのための「心理療法事業」の申請がスタートして、現在心理療法士を配置している児童福祉施設は少なくない。ただ補助金の量的課題があり、正職員ではなく非常勤職員としてしか雇用されない。
 子供たちと同様、現場では職員へのケアが必要となっている。仕事の合間に専門書を読みながら対応するわれわれ職員にとって、たった1人の心理士さんであってもすごく心強いものである。しかし、それが非常勤職員でしか迎えられないのである。
 児童福祉施設は何をするところなのか。子育てはたくさんの機能を要する。誕生から生育していく過程の中で、児童福祉施設がどのようにかかわらなくてはならないか。最終的には子育て過程において人権を損なわれた子供たちの最後の福祉の砦(とりで)として機能はするものの、それまでの日常的な地域の中での親の仲間づくり、家族や子供たちとの個別的かかわり、心身の健康面へのチェックと援助等、そうした地域コミュニテイ活動と合わせた施設内での専門的な治療と生活処遇を万全の体制で行うことである。
 そのような児童福祉施設が実際には必要なのである。しかし、生活環境、専門性、職員の労働条件などが大変不足している今の状態の中で、利用者が真に満足のいく処遇は難しいといえる。

形だけの日本の福祉制度

 社会福祉の原点、立脚点は国民の暮らしと健康の実態にあるはずだ。しかし、政府や国は国民の暮らしと健康については「大いに改善、向上して豊かになった」ということで済ませ、供給側の状況や都合を下にした供給側体制論として社会福祉を組み立てているのが実態だ。
 介護保険が始まる前に、いろんな論議が交わされた。財政論や制度論ばかりの論議であれよあれよという間に始まったこの制度、その後どうなっているのか詳しいことは分からないが、当時こんな話を聞いたことがある。「介護とは何か、何のための介護かという、本質的な話し合いがどこまでなされたか」「当時者の生活のあり方はどうあるべきかという話が尽くされていない」という声である。
 介護はそれを必要とする人たちの生命維持を目的とすればよい、あるいは生理的欲求のみを単に満たしさえすればよい、というものではない。外出や買い物、仕事、そしてレクレーション活動など、障害を持つ人たちの社会的活動をサポートし、社会的役割が発揮できるように支援し、自己表現が可能となるような社会的サービスである必要がある。
 さらに、今まで介護といえば身体障害者に提供されるものとしてとらえられてきたが、精神障害者や知的障害をもつ人たちにも介護サービスが必要とされる場合がある、という認識をもつことが求められているということが、十分論議されただろうか。
 他の制度の詳細は分からないが、福祉制度の大半は形だけとも見える。とってつけたようないいかげんなことだけしている。しかも複雑で分かりにくい。こんな状態だから、議論のしようもないのかもしれない。
 また、国民年金制度の不透明さは以前から指摘されていた。年金制度は改定のたびに掛け金が引き上げられてきたが、給付額も引き上げられていたころは批判はあまり起こらなかった。現在の問題は給付額が下がるという、まさにダブルパンチなだけに、見過ごせない。
 社会福祉制度をどうやって国民の視点で考えられるようにするか、年金問題に限らず、幅広くあらゆる福祉制度を検証する必要があると思う。だれが悪いというだけでなく、制度の生まれた背景から、国民のだれのためにどう必要があるのか、何が問題で何が不足しているか、またどのようにすれば国民すべてにとって行き届いた制度になるか。一部の人だけが強引に決めるのではなく、あらゆる(子供も含めて)人たちを巻き込んだ国民的議論の中で制定されることを強く要望したい。


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