労働新聞 2004年5月15日号 通信・投稿

英米軍による捕虜虐待

これが戦場の現実だ

山田 美香

 米英軍によるイラク人の捕虜虐待が明るみに出た。きっかけはアルブレイグ刑務所で撮影された写真が、米国人ジャーナリストの手に渡って公表されたことだった。このジャーナリストはベトナム戦争でソンミ村の虐殺を暴露した人でもある。
 痛めつけられた、あるいはすでに死んでいるかもしれない裸のイラク人たちをいたぶる米兵の姿は、誇り高いイラク人の尊厳への挑戦のように見える。組織的に米英軍が捕虜虐待を行っていることは疑う余地がない。写真はまだほんの一部と言われており、残虐な写真は公表されていないと思われる。
 とりわけ、裸で山積みにされた捕虜の前で若い女性兵士が笑っている写真に、私は衝撃を受けた。人間としての理性のかけらが残っているならば、こんな笑顔が出るはずはない。その兵士の家族も「彼女はそんなことをする人間ではない」と弁護したが、これが戦場の現実なのだ。
 侵略者が、支配した国の人間を対等の人間として見ることなどできるはずもない。侵略に抵抗する人びとは、彼らの「敵」以外のなにものでもないのだから。戦争で捕虜の虐待、住民の虐殺が起こるのは、当然の結果でもある。
 私は、マスコミが捕虜虐待をことさら騒ぎ立てることに、違和感を覚える。本来、戦争はもっときれいで秩序あるものだといいたいのだろうか。しかし、そんなことはありえない。捕虜虐待もファルージャの住民殺害も、すべて米国が戦争を仕掛けたことから始まった。問われるべきは、この戦争そのものだと思う。
 戦争がきれいごとではないことは、私たち日本人は十分に知っているはずだ。南京大虐殺、100人斬り、三光作戦、拷問、原爆…加害者、被害者としてさまざまの戦争犯罪を体験したからだ。だから、日本は憲法に戦争放棄を掲げた。
 それなのに、小泉首相は屁理屈をこねて自衛隊を派遣し、米国の占領政策の一翼を担っている。ブッシュ大統領や小泉首相が思い描く「正義」の戦争は、どんなきれいな戦争なのだろうか。今回の捕虜虐待問題は、きれいな戦争なんてあり得ないという現実を、私たちに突きつけている。


短歌 武田 珠里

■ 青麦の群れてる中の 黒い穂の 嘆いているような 深いため息
■ 空(くう)を指す 人さし指に似たる花 誰に語るの その先のこと
■ 喜・怒哀・楽 サンドイッチの具のように はさんだ心 ムシャッと食べたい
■ 戸をたたく雨の音 音譜をばらばらにして ふりまく不協和音
■ ふんばって生きて そのあとふわふわと 一つのものだけ 持ちて飛びたし                   (たんぽぽを思って)


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