労働新聞 2004年4月25日号 通信・投稿

がんばれ! 高遠さん、
今井さん、郡山さん

問われるべきは政府責任

田原 明美

 今回のイラクでの人質事件で、5人が無事解放されたことは本当によかったと思う。テレビで元気な姿を見た時は、とてもうれしかった。
 4月8日にアルジャジーラで流された人質の映像は衝撃的だったが、それ以上に衝撃を受けたのは、政府の対応だ。小泉首相は何のためらいもなく、イラク側の要求である「自衛隊撤退」を拒否し、人質を見殺しにすることを冷たく宣言した。国民の命よりも自衛隊派兵を優先する、この小泉首相の言動が議論にもならないという現実に、あ然とした。
 そもそも彼らは、自衛隊が派兵されなければ人質になることはなかった。人質事件は国の責任以外のなにものでもない。常識で考えれば、政府は5人にあわせる顔がないはずだ。見殺しにすることを決めたことを5人に謝罪し、慰労すべきなのに、現実はまったく逆。「自己責任」を振りかざして、被害者である5人とその家族をバッシングする政治家たち。きわめつけは、費用の一部を請求するという公明党の冬柴幹事長の発言だ。政治の責任を覆い隠すために問題をすりかえて、国民を欺こうとする魂胆が見え見えだ。
 「自己責任」をあげつらう政治家たちに、政治家として責任を果たしているのかと、問い返したい。小泉首相は人質情報が入った後も、安部幹事長といっしょにマスコミ幹部との定例会で会食し、ビールとワインとステーキをたいらげたという。一国民の「自己責任」を問う前に、国政トップとして責任が問われるべきだろう。
 外国にいる邦人の安全確保が仕事である外務省は、その責任を果たしただろうか。交渉の蚊帳の外にいて、アルジャジーラで事態の推移を知り、米国に救出を依頼するという間抜けぶりだ。戦争のさなかに米軍に救出を依頼するということは、もっとも危険なことなのに。
 おまけに、小泉首相の「テロリスト」発言が、解放を遅らせた。イラクでの反米抵抗闘争の高まりに手を焼いた米国は、常軌を逸した無差別攻撃を続けている。米軍に完全に包囲されたファルージャという町では、イラク人600人が殺されたという。それでも、イラク人は果敢に闘いを続けている。これがテロリストだろうか。誇り高い彼らが「テロリスト」と呼ばれることに反発したのは、当然といえる。
 人質を解放する力となったのは、彼らの活動がイラクの人びとに理解されたことであり、人質解放を求め自衛隊撤退を求めるデモであったことは間違いない。イラク側は日本国民に向けて、自衛隊が撤退するように政府に圧力をかけてほしいと訴えている。解放の仲介を務めたイラク人も、ファルージャの状況を日本に伝えてほしいと語っている。彼らの要求は、米国の占領を終わらせることだ。
 3人は解放された直後まで笑顔を見せていたが、帰国すると心身ともに疲れきったようすで、厳しい表情を見せた。まるで犯罪者であるかのような警察の事情聴取、首相や政治家、マスコミのバッシングによる心労に違いない。解放後に家族たちは「喜びが1で、不安が99です」と語っている。国民がイラク戦争に懐疑的になっている中で起きた人質事件だけに、政府はやっきになってバッシングし、イラク戦争に反対する世論を抑えつけようとしているものと思われる。
 フランスのル・モンド紙は、「日本人は人道主義にかりたてられた若者を誇るべきなのに、政府や保守的メディアは解放された人質をこき下ろすことに汲々(きゅうきゅう)としている。若者の純真さと無謀さが、死刑制度や難民認定などで国際的に決してよくない日本のイメージを高めた」と評している。
 「イラク人を嫌いになれない」という高遠さんの言葉は、イラクの人びとの胸に深く刻まれたに違いない。今井さんと同じ年代の若者たちは、自分はこれでいいのかと自問自答し始めている。3人はすばらしい仕事をしたと思う。バッシングに負けることなく、これからもがんばってほしい。


許せない「人質」バッシング
小林 繁治

 イラクで、日本人5人が人質になった事件をめぐって、さまざまな報道がされています。この事件で、私が最初に「ええっ!」と思ったのは、先に人質になった3人の家族に、人質になった本人や家族を攻撃する手紙や電話があったというニュースでした。 
 家族は当初、当然ですが、自分の娘や息子、兄弟の無事の解放を願い、解放条件として出されている「自衛隊の撤退」についても「考慮に入れてほしい」と発言していました。ところが、小泉首相が「自衛隊の撤退はしない」という態度を示してから、家族たちは本音を抑えて、謝罪を繰り返すようになりました。
 その後の記者会見で、「政府から圧力はあったのか」とのマスコミの質問に、家族たちは苦渋に満ちた顔で「ノーコメントです」と答えました。3人の家族に対するいやがらせは、小泉首相の発言と連動した意図的で政治的なものを感じます。
 3人のあとに人質になった2人は、日本大使館に行くことを拒否し、政府と接触する前にマスコミに登場し、率直にイラクの現状と自らの信条を語っています。一方で成田空港で出迎えた家族たちは、非常にとまどっているようすを見せていました。2人の家族に対しても政府の脅しがあったと思われます。
 最初に人質になった3人のうちの高遠さんという女性は、戦争で家族を失った子供たちの悲劇を救おうとして献身的に活動してきた人です。若い眼差しからその意志が伝わってくるような今井さんは、劣化ウラン弾を問題にして、白血病の悲劇に見舞われた子供たちのためにイラクに調査に行った青年です。彼らの活動は、米軍が起こした湾岸戦争、現在進行中のイラク戦争がなければ、ありえなかった行為であり、戦争を批判的にとらえている立場にいました。
 彼らの活動がマスコミで好意的に取り上げられることによって反イラク戦争の世論がつくられるのを恐れた政府は、強引な世論誘導に走りました。家族に圧力をかける一方で、「自己責任」や「費用負担」などを持ち出し、あたかも人質になったことが悪いかのようなバッシングを始めたのです。事件の根本的な背景にある米国のイラク占領と、それに追随して自衛隊を派兵した日本政府の責任を、すり替えようとしていることを、多くの国民は感じていると思います。
 私の友人は、「政府は初めから人質を見捨てていた」と言いました。「何で?」と聞くと、「小泉首相にとって人質がどうなってもかまわない。自衛隊のほうが大事だから」と。
 話は飛躍するかもしれませんが、教育基本法の「改正」をめぐって、「愛国心」を盛り込むかどうかが大きな議論になっています。窮地にある国民とその家族を見捨てるような、かつ攻撃を加えるような国を愛せるでしょうか。今回の人質事件であからさまになった問題を、いろいろな角度から取り上げてください。


背景に米国支持国への怒り
元海外協力隊員 梅津 正哉

 現在、イラクでは外国人拉致、監禁、殺害が横行しています。イタリア人の男性は、拉致監禁の上、残念ながら殺害されてしまいました。そのようなとても厳しい状況の中ではありましたが、日本のボランティアの3人(高遠氏、郡山氏、今井氏)に続き、非政府組織(NGO)の渡辺氏、ジャーナリストの安田氏の2人も殺害にいたる前に無事解放されました。本当に喜ばしいことです。
 なぜこのような行為が起こるのかについては、熟考しなければならない時期に来ているでしょう。
 そもそもイラク戦争の大義は、大量破壊兵器にあったのですが、いまだに大量破壊兵器は発見されていません。このような状況では、イラク国民、また世界の人びとが納得することは不可能です。そして、特にイラク国民の中に米国とその支援国に対して、不信感と怒りを呼び起こしてもいっこうに不思議ではありません。実際、イラク国民が憎むグループの一員として日本人も見られているから、このような事件が起きているのでしょう。
 今回の事件で、政治家や政府が「自己責任」を強調しましたが、それには疑問を感じます。私は海外青年協力隊でアフリカに行った経験があります。アフリカにも日本人のNGOやボランティアが大勢活動しています。こういう人たちが人質事件などに巻き込まれた場合も「自己責任」なのでしょうか。
 今回の日本人拉致で、5人が解放された一因は、「日本人=イラクの敵」から「NGO、ボランティア、ジャーナリスト=イラクの味方OR中立」と、5人に対するイラク武装勢力の見方が変わったからでしょう。しかし、今後も日本人NGO職員、ボランティアが、イラク人から日本人の都合のいいように見られるとは限りません。やはり、イラク人の日本人に対する見方を「日本人=イラクの復興を願う人びと」に積極的に変えていかなければなりません。また、多くの日本人はそのような気持ちを持っているでしょう。
 このようにイラク人の日本人に対する見方を変えていくには、日本人ボランティアの力だけではだめです。やはり、日本政府の力が必要です。米国は大義を失い、イラク人から「米国=敵(悪魔)」と見られています。このまま米国主導では、イラク復興の光は見えてこないでしょう。日本政府がやらなければならないことは、米国主導ではなく国連主導のイラク復興支援体制をつくることを世界に呼びかけ、構築することでしょう。政府がそのような行動を起こすことにより、イラク人の日本人に対する見方も変わり、NGO等のボランティア活動も阻害されることがなくなるでしょう。イラクの一日も早い復興が望まれます。


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