労働新聞 2004年4月15日号 通信・投稿

書籍紹介
森達也 著
「下山事件(シモヤマ・ケース)」

事件引き起こした構造問う

長井 和秀

  読者の皆さんの中には「下山事件」と聞いてもピンとこない人も多いのではないか。なにしろ50年以上も前の事件である。
 1949年7月、国鉄総裁であった下山定則が常磐線綾瀬駅近くでれき殺体で発見された。
 当時、「財閥解体」などに象徴されるGHQによる「民主化」は大きな節目を迎え、いわゆる「逆コース」でGHQは一転して当時の共産党や労働運動に対して過酷な弾圧を加えてきた。国鉄でもドッジ・ラインに基づく合理化が準備されており、それに対し国労は各地でストなどで抵抗を続けていた。
 こうした中での事件であり、事件直後政府首脳や国鉄幹部は共産党による犯行を匂わせた。
 また下山事件に続くように10日後には、中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走、死者6人を出す大惨事になった「三鷹事件」、その1カ月後には東北本線で列車が脱線転覆する「松川事件」と、国鉄を舞台にした事件が続発、実際に共産党員や労組幹部が逮捕された。
 かつて松本清張は「日本の黒い霧」で下山事件を取り上げ、合理化に反対し闘う国労をつぶすことを目的としたGHQによる謀略と指摘した。
 著者の森氏はその下山事件に身内がかかわっていた人物と知り合ったことで、あらためて下山事件について調べ始めた。この本は、森氏の取材の経過を追いながら事件の真相に迫る。
 下山事件のなぞは深く、読む人をぐいぐいと引き込む。そして、あの「キャノン機関」と深い関わりをもつ「亜細亜産業」の存在、共産党から右翼に転向した人物の関わり、国労内の左派対策としてつくられた民同の果たした役割、そして当時国鉄の幹部でのちに総理大臣になる佐藤栄作の闇が、明るみに引き出される。
 しかし、調べを進めるにつれて、森氏の中では事件の背景や真相を暴くことで終わっていいのかという疑問が頭をもたげてくる。結局、森氏は下山事件を引き起こした構造は変わっていないと主張する。そしてひとたびセンセーショナルな事件が起きると飛びつきあおり立てるメディアや、それに踊らされる国民へのいらだちを募らせ、「自覚や主体性のないままにこの国の歴史を変えられたくない」と書いている。そして下山事件を通じて、こうした現状を感じ取る「下山病」のウイルスを「大量に培養し、この国の大地にあまねくまき散らしたい。すべての人にキャリアになってほしい」と訴える。
 事件そのものは公式的には「自殺」という形になったが、「総裁は共産党に殺されたかも知れない」というイメージは、マスメディア通じて多くの国民の意識に植え付けられた。三鷹事件や松川事件では実際に共産党員が検挙された(後の裁判でほとんどの被告が無罪となったが)。総体として労働運動は抑えつけられた。
 こんにち、イラクへの自衛隊派兵や憲法改悪の動きなど政治の反動化が進んでいるが、こうしたことも下山事件と一つのレールでつながっていることを感じさせる。
 森氏は最後に書いている。「下山事件は終わっていない」と。


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