労働新聞 2004年4月15日号 通信・投稿

「大英博物館の至宝展」
強欲と略奪のコレクション

マルクス、レーニンの直筆も展示

瀬谷 豊

 先日、初めて神戸に行ったついでに、「大英博物館の至宝展」を見に行った。古代から近代まで、エジプト、メソポタミア、アジアなど全世界から一級品の文化財を集めた展示であり、見れば見るほど、圧倒されるものばかりであった。
 ところで、膨大な展示物を見て、私は三つのことを感じた。
 一つは、大英博物館の由来についてである。
 大英博物館はもともと、ハンス・スローンという17世紀末の英王室付医師が「個人的に収集」したコレクションの遺品から始まったものだそうだ。スローンの遺言でコレクションは英国政府に寄贈され、世界初の国立公共博物館が設立されることとなった。
 以上は、「音声ガイド」によるものだが、肝心なことが隠されているということにお気づきだろうか。
 スローンが遺物のコレクションが可能であった背景には、当時の英国による植民地支配がある。インド、エジプト、メソポタミア(イラク)など「充実したコレクション」と称されるものは、皆、英国の植民地であったところである。つまり、ほとんどすべて、植民地から奪い取ったものだ。大英博物館の展示物は、スローンの「情熱と知的欲求の結晶」(案内パンフレット)どころか、「強欲と略奪の結晶」である。
 大英博物館の展示物が増えることは、英国の覇権の拡大を意味した。ナポレオンをエジプトから追い払った英国が、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)解読のきっかけとなった「ロゼッタ・ストーン」をフランスの手から奪い取ったのは、その典型であろう。
 エジプトは「ロゼッタ・ストーン」の返還を再三要求しているが、英国はまったく応じていない。私たちは、「民族の誇り」を奪われた人びとの怒りや無念さにも共感できるようでありたいものだ。
 二つ目に思ったのは、イラク戦争のことだ。
 展示物の目玉の一つである黄金製の「女王の竪琴」は、イラク南部のウル遺跡で発見されたものである。英国は米国とともに、このイラクを無慈悲・無法に攻撃した。いまだ砂漠に埋もれているあまたの貴重な遺跡や遺物が、この戦争で破壊されたであろう。世界最古の都市文明の遺物は、またも「奪われた」のである。
 最後に、私がもっとも印象に残った展示物を紹介したい。
 それは、かつて、マルクスとレーニンが大英博物館に入館する際に記入した、直筆の「入館記録」である。
 マルクスは1849年以来、死ぬまでロンドンに滞在したが、大英博物館の図書館で研究を重ね、「資本論」などを執筆したことはよく知られている。専用の席まであるぐらいに博物館に通い詰めたマルクスの努力の一端に、触れることができたように思う。
 また、ツアーに追われたレーニンが大英博物館に通っていたことを、私は初めて知った。もちろん、「入館記録」は偽名だ。レーニンはスイスなどヨーロッパ各地を点々としていたようだが、大英博物館で何を学んだのだろうか。おそらく、その成果は「帝国主義論」などに生かされているに違いない。
 帝国主義が全世界から奪ったものでできあがった知識は、それを滅ぼす革命家を鍛え、理論を生むことに「貢献」した。文字通り、「自らの墓堀人をつくりだした」のである。
 私ももっと勉強して、せめてマルクスやレーニンの足元には近寄りたいと思った次第である。なお、この展示会は、福岡、新潟でも開かれる。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2004