労働新聞 2004年2月25日号
イラクの子供たちを励ましたい
文通で気持ち通じ合う
生徒たちが英文で手紙書く
高校教師 野田薫
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かつての工業生産世界ナンバー・ワンであった米国は、中国やEU(欧州連合)の経済発展に押されて少しずつ直接生産から手を引いています。今では金融市場の制覇と軍需産業一辺倒に傾き、ばく大な貿易と財政の赤字をかかえ、経済のあらゆる面でバクチ的投機なくして成立しない国家となっています。
国連決議を無視した単独でのイラク攻撃は、このような追いつめられた米国の経済状況の中で発生しました。アラブ石油に忍び寄り、EU、ロシア、中国に対し「お前らには石油は絶対に渡さんぞ!」という米国の意思表示こそが、このたびのイラク攻撃であったように思います。この米国のごう慢な軍事行動によって、罪のない数多くの市民が殺され、なお今でも大規模な殺りくが堂々と行われています。
しかし、米国のあまりにも無軌道で狂気の行動に対して世界の多くの人びとが、米国本国をはじめ世界各地で立ち上がりました。
かつて中国の毛沢東が「人民、人民こそが歴史を動かす原動力である」と指摘したように、国家でも、国連でもなく、まさに「世界人民の反戦の声」がイラク国民への米国の行動に猛烈な批判を浴びせ、今、米国政府の私的野望に歯止めをかけ、イラク人民の祖国防衛の正義の闘いを激励しています。
イラク写真展での出会い
このようなイラクの悲惨な状況の中で、罪のない数多くのイラクの子供たちが戦火に巻き込まれ、米軍によってイラク全土にばらまかれた無慈悲な劣化ウラン弾の放射能を浴び、白血病やガンに冒されている現状を目撃した一人の日本人の女性がいました。二児の母親であるこの女性は、言葉では言いあらわせない、あまりにもむごいイラクの子供たちの現状を見過ごすことはできず、デジタルカメラにその様子を納め、帰国しました。
彼女は、先に「労働新聞」新年号で紹介された佐藤好美さんです。佐藤さんは各地で、自ら撮影してきた写真の展示会を次々に行いました。多くの地方自治体が彼女の写真展示に協力してくれ、労働組合で応援してくれるところもあったそうです。報道で知った幼稚園の先生からも声がかかり、その先生は自分でチラシをつくって地域に案内もしてくれました。私が彼女と知り合ったのは、まさに、その展示会の会場でした。私は、彼女がこんなにすばらしい人道支援の正義の行動を単独でやっていることに感動しました。
佐藤さんから「イラクの苦しんでいる子供たちをいろいろな方法で励ましたい」と相談を受けました。「イラクの子供たちを励ますには、同じ子供たちからの励ましが何より」と聞かされ、「あなたは英語の教師なら生徒たちに英文でイラクの子供たちを励ます手紙を書いてもらえませんか」と言われました。
英語を教える教師として、今までに生徒たちが英語を習っても、英語を実際に使うことを教えてこなかったことを考え、また、自分がイラクと日本の子供たちの交流に役立つならと考え、「それはすばらしい。ぜひ、生徒たちに英文手紙を書かせましょう」と約束しました。
多くの手を借り手紙届く
このようなプロセスを経て、私の勤務する学校の生徒たちとイラクの子供たちの文通が開始されました。書かれた手紙は、佐藤さんを通じて、カメラマンやNGO(非政府組織)の人びとの手を借りて、無事にイラクまで運ばれ、学校に届けられました。
再び、多くの人びとの決死の努力を経て、佐藤さんの手元にイラクの子供たちから返事が届けられました。つたないイラクと日本の子供たちの手紙の内容は、「日本は美しい国ですね。ぜひ、大きくなったら行ってみたい」とか、「私はピアノを弾くことが大好きよ」というような、たわいもないものですが、イラクの子供たちと日本の子供たちの気持ちが通じあっていることがよく分かります。手紙を書く生徒たちの顔は生き生きとし、イラクの子供たちからの手紙を手にした子供たちは喜びを顔にあらわします。イラクの子供たちが書いた絵もたくさん送られてきました。また、イラクの子供たちを心配する声も聞かれます。
最後に、「人道支援」という名の下にイラクへ出かけていった自衛隊と、日本の子供たちの書いたつたない英文の手紙のどちらを、果たしてイラク国民は歓迎するかは、今後の歴史の流れが少しずつ証明してくれることでしょう。
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