労働新聞 2004年1月1日号 文化

イラク現地報告
イラクの人は占領を納得してない

写真は私の心
感じたままを伝えたい

写真家・佐藤 好美さんに聞く

■経済制裁下、薬も不足

 核査察問題で緊張が高まっていた昨年9月、イラクへ行きました。案内されたサダム・フセイン病院には白血病の子供たちがたくさんいました。カメラを持っていましたが、いたたまれない思いで、私はシャッターを押すことができなかった。
 その時、私たちをにらみつけるような1人の母親がいました。この人たちの思いを伝えることが大事なんだと思って、はじめてシャッターを押しました。
 白血病の多発は、湾岸戦争時の劣化ウラン弾の影響だといわれています。5人の子供のうち、3人が白血病になって1人が亡くなったという母親は、私たちに泣いて訴えてきました。私たちは何も悪いことをしてないのに、なぜこんな目にあわなくてはいけないのか」。私には返す言葉がなくて、その母親と抱き合って泣きました。イラクは石油があって豊かな国なのに、経済制裁で薬もない。経済制裁って何なのか、疑問を感じました。
 でも、イラクの人たちは明るくておおらか。男の人たちはスペイン人やイタリア人のような軽いノリで女の人に声をかけている。子供たちはすごく目が輝いている。イラクの人たちを見て、貧しいことイコール不幸せではないと思った。心が満たされているように見えました。


「現実を見たらほおっておけない」と語る
佐藤好美さん

■真剣に聞き入る日本の子供たち

 日本に帰って、何とか戦争を防げないかと考えました。私には写真しかない。フォトCDとポストカードを販売し、売上の1部を子供たちの医薬品購入に当てる。私にできることはそれしかなかったんですね。
 世界中で反対の声があがったのに、それでも平気で戦争が始まった。その時、震えを感じました。私はこれで終わりには絶対にしたくないと思った。そこに現に暮らしている人がいるんですから。
 ある時、学生と先生の集まりがありました。そこで米国の13歳の少女の詩を、私の写真をスライドに映しながら朗読したんです。この少女のメッセージは、イラクの子供たちの心の叫びに聞こえました。各方面の協力を得て、それをDVDにして、インターネットで無償で配布したところ、平和集会などへ広がっていきました。
 また、ある中学校に呼ばれて、授業で中学3年生に話をしました。彼らは食い入るようにスライドを見てくれた。伝えることに責任を感じましたね。私は、何ができるかを真剣に考えてほしいと伝えました。
 何日かして、子供たちから感想文が届きました。彼らはすごく純粋に受け止めてくれた。戦争がいやだということを大きな声で言いたい、友だちになれるかもしれないというのもありました。情報を与えられるとスポンジのように染み込んでいくんですね。この子供たちとイラクの子供たちが交流できれば、戦争ということが分かり、平和を愛することが分かってくると思い、イラクの子供たちへの手紙を呼びかけたんです。たくさんの子供たちが手紙を寄せてくれました。


「見つめる目」(エンティサーム高校の壊れた窓ガラスから顔を出す管理人の子供。03年10月、バクダッド、佐藤好美氏撮影)

■戦争で人の心まですさむ

 戦前に会った子供たちに再会し写真を渡したい、医薬品を届けたい、日本の子供たちの手紙を届けたいという思いで、10月3日から再度イラクに入りました。危険だといわれても私に怖さはなかったですね、人が好きだから。
 バクダッドの町はめちゃくちゃになっていました。戦前は、豊かな人が貧しい人に力を貸すのは当たり前で、物乞いはいませんでした。人びとは結束していましたし、夜中にお酒を買いに行けるほど安全でした。
 ところが、ありとあらゆるところに物乞いの人がいました。ストリート・チルドレンもいっぱいいました。イラク人は「あいつらは悪いやつらだから近づくな」と言うんです。貧富の格差が広がっている分だけ、人に対するやさしさがなくなり、心までがすさんでいることにショックを受けました。
 湾岸戦争前は識字率は90%だったのに、今は学校に行っていない子供たちが大勢います。外国からの支援は何も届いていない。病院には薬がない。貧しい人たちはどこまでも貧しくなり、食べるものもない状態に陥っている。世界の支援金はどこに消えたんでしょうか。
 町の中は異様です。どこもかしこも要塞です。高いコンクリートの塀をめぐらせて、自爆テロに突っ込まれないように有刺鉄線を張って、土のうを積み上げている。そのためにお金をどのくらい使っているのか。米軍は自分たちの身を守るためにお金をかけますが、イラクの人たちが死んでいくことにまったく痛みを感じていない。
 失業率が70%という中で、人びとが追い詰められている。子供たちが安心して暮らすためには、失業をなくし、大人たちが安定して働くことができる場所が必要です。

■深刻な放射能汚染

 米兵はいつ狙われるか分からない状態で、ほんとに怖くてたまらないという感じでキョロキョロしていました。挙動不審状態ですね。戦車や装甲車の上から銃口を向けて、いつでも撃つぞと構えています。バグダッドではしょっちゅう銃撃戦がありましたし、爆発音も聞こえました。反米デモもあちこちで起こっていました。失業者が町にあふれていますから、暴徒化して学校を襲撃する、モノを破壊するということもあります。
 でも、日本に報道されているのはごくわずか。ある場所で、米兵が1人死んだ事件があったんですね。その時、集まった住民に米兵が銃を乱射したんです。大勢のイラク人が殺されても、伝えられない。正確な数字はわかりませんが、イラク全土でたくさんの人が殺されているはずです。
 バンカーバスター(貫通爆弾)が落とされた所は、今は更地になって、有刺鉄線が張ってありました。米軍は都合の悪いところは埋めて、隠している。
 劣化ウラン弾が落とされた場所にも人が住んでいます。放射能が地下に浸透して、地下水を汚染して、川を汚染して、何年後かに生まれる子供たちにも被害が出てくる。考えただけでも恐ろしいことです。
 私は現地の人から、2カ所でキノコ雲を見たという話を聞きました。ナガサキ・ヒロシマと同じだったというんです。灰をかぶった人の皮膚と肉がズルッと落ちたそうです。何十万人規模の被害ではありませんが、相当危ないものを落としているということが分かると思います。そういう場所には高い塀をめぐらせていて、中には入れません。
 そこに暮らしている人たちがいるのが分かっていて、そんな危ないものを落とした人たちに、責任はないんでしょうか。

■自衛隊に何ができるの?

 フセイン時代は経済制裁されていて、けっして豊かではないけど、秩序が守られ、文化的水準も高かった。今の状況よりもっともっとまし。それを崩壊させて、ブッシュ大統領は「民主主義のために力を貸した」なんて馬鹿なことを言っている。生活がよくなるんだったら国民も納得すると思うけど、納得なんて絶対できないと思います。
 何が自由なのか、何が民主主義なのか、私には分からない。ずっと培われてきたイスラム教徒の考え方、歴史があります。それを外から入って押さえつけてこうしろといったって、納得のいく解決にはならない。イラクに暮らしている人たちが、たとえ何十年かかっても、めちゃくちゃになったとしても、自分たちで解決していくしか方法がない。
 立ち直るための支援は必要ですが、支援をしたから石油をよこせとか、支援をしたからいいなりになれというのはおかしい。国を破壊した責任は確実にとってほしいけど、大事なことは自立できるような方向づけです。
 町にはいっぱいストリート・チルドレンがいますが、彼らは力をもっている。「お金ちょうだい」と言いながらもなんとかがんばっている子供たちの目を見た時に、死んではいないんですね。どんなことしたって生きてやろうというのが伝わってくる。そういう子供たちに哀れみや同情はいらない。
 私は自分の無力さに打ちひしがれた時に、彼らからたくさんのエネルギーをもらいました。この子供たちに何をしなければいけないのか、イラクの人の側に立って考えるしかない。
 今、自衛隊派遣の準備が進んでいます。武装した自衛隊は米軍と同じように、いつ狙われるかもしれない。形だけでも入ることが、あの人たちには大事なことなんでしょう。派遣に膨大なお金を使うんだったら、お金だけイラクの人に渡してください。医薬品がたくさん買えます。
 自衛隊には絶対に行ってほしくない。混乱するだけだし、NGO(非政府組織)や個人的に動いている人たちの妨げにしかならない。国連も手を引いているのに、銃まで持って要塞に閉じこもって、いったい何ができるんですかと、私は問いたい。
 私は政治的なこと、反戦活動は1度もやったことがない。わりと無関心でいたんです。でも、現実を見たらほおっておけない。イラクの現状をありのままに、感じたままに伝えることが私の仕事だと思っています。写真は私の心です。私の心がストレートに伝わるような写真を、これからも撮っていきたい。

※劣化ウラン
 核兵器・核燃料をつくる時に大量に生じる物質。放射能が劣化しているわけではない。貫通力を高めるために弾頭に装着した砲弾が劣化ウラン弾。

佐藤 好美さん ホームページ
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