労働新聞 2003年12月5日号 通信・投稿

書籍紹介
著・森 哲郎 監修・長岡 進
マンガで描く日中戦争の歴史

愛知 岡島 夏夫

 労働運動・日中友好運動の大先輩から1冊の本をいただいた。本は<ビジュアル・ドキュメント>「戦乱の海を渡った2つの観音様」というマンガでした。また、「名古屋人必見!」ともあり、さっそく読み始めると、一気に読み終えてしまった。
 名古屋市に22万平方メートルもの平和公園があります。その中心に平和堂があり、そこには戦争中に中国から贈られた千手観音像が安置されています。しかし、年に1、2回しか公開されておらず、観音様の存在を知らない名古屋市民もたくさんいます。事実、私もこの本で初めて、観音様の存在を知りました。平和公園は私の家からは約1・5キロの近所なのですが。
 本のストーリーは、ここから始まります。
 1941年、日本から中国の南京市に十一面観音が贈られ、その答礼として千手観音が日本に贈られたのです。ここまでは、美しい日中交流のようですが、実は違います。41年は太平洋戦争が始まった年ですが、日本は31年の柳条湖事件で満州国をでっち上げ、37年には南京大虐殺を起こしています。中国人民の抗日運動に手を焼いた政府と軍部は、中国人民を親日に変えるため、さまざまな宣撫(せんぶ)工作を行い、宗教もその中で役割を持たされました。38年には「日支宗教大同連盟」がつくられています。
 そして、名古屋にあった10メートルもの巨大な十一面観音が南京の毘盧寺(びるじ)におさめられました。そして、南京の毘盧寺から千手観音が日本に贈られたのです。贈呈式には日本から特務機関長が参加したように、目的は宣撫工作です。今も平和公園に中国から贈られた千手観音があります。ちなみに名古屋市と南京市は78年に友好都市になっています。
 身近な公園の平和堂に、こうした日中関係の不幸な歴史があることに気付かされました。そして、この本を紹介したのは、こうした問題は決して遠い過去のできごとではなく、いまも残っているからです。しかも毘盧寺は観音像の返還を希望しているのですが、名古屋市側はこの問題を避けているように見えます。この問題をきちんとすれば、観音像の目的、南京大虐殺などの歴史的事実を避けることができないからだと感じてしまいます。
 日本とアジアの関係を考える時、身の回りにもまだ多くの解決されていない問題があることを考える機会になればと思います。ちなみに、この本は昨年、日中国交回復30周年に発行されています。 (鳥影社発行 本体価格・1500円)


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2003