労働新聞 2003年10月15日号 青年

沖縄スタディツアーを企画

「基地の島」沖縄
日米安保問い直そう

大学生 中嶋 美華

 沖縄は昨年、1972年の本土復帰から30周年を迎えましたが、いまだ在日米軍基地の75パーセントが集中し、基地による騒音被害や米軍人による事件は後を絶ちません。そして、湾岸戦争後沖縄からイラク監視に当たっていた戦闘機がイラク侵略戦争に参戦するなど、米国の世界戦略の軍事拠点として、日米安保条約下の「基地の島」という現実は、いっこうに解決されていません。
 そのような中、今年の夏、沖縄の現実を知ることから日本の姿を問い直そうと、沖縄問題に取り組む学生団体で沖縄スタディーツアーを企画しました。

★辺野古で祭りに参加
 はじめに訪れたのは、普天間基地の県内移設先とされている名護市辺野古です。沖縄の中でものどかな地域である辺野古地区の入り口付近に、なにやら大きな建物が建設中です。それは、基地押し付けの代償(アメ)としてわざわざ名護に誘致された、高等専門学校の校舎だといいます。あからさま過ぎて、言葉も出ません。
 この日、辺野古の砂浜では県内外のミュージシャンが参加し、音楽を通して平和を願う「満月祭り」が開催されました。歌の合間には、地元の「命を守る会」の金城祐治代表をはじめ、地域で闘っている人びとが次々に海上基地建設阻止を訴えていました。


「満月祭り」で基地移設反対を訴える金城祐次氏

★壕の中で追体験
 翌日、私たちは沖縄戦で住民が避難していた自然壕(ガマ)を、平和ガイドの方に案内していただきました。訪れたガマは、日本軍と住民が共に避難していた壕で、生き残った方の証言では、泣き叫ぶ赤ちゃんの声は敵に見つかるという理由で日本軍に殺害されたといいます。壕の奥まで進んだ所で、持参した懐中電灯を消し、当時の暗闇の中の戦時のほんの1部ですが追体験しました。初めて壕に入ったという学生は、「沖縄戦の証言を思い出して、足の震えが止まらなかった」と、衝撃を隠せないようすでした。

★米軍基地の実態を知る
 翌日は、米軍基地の見学です。まずアジア最大の嘉手納基地を見学しました。この日はそれほど騒音はひどくなかったものの、初めて見学するという人はその規模の大きさに驚いていました。
 その後、宜野湾市の普天間基地に隣接する普天間第2小学校の屋上から、普天間基地を見学しました。小学校の運動場では運動会の練習で子供たちが楽しそうに走り回っていましたが、そこをフェンス1枚隔てて、向こう側は米軍基地が広がっています。待機中の米軍機もすぐ近くに見え、危険と隣り合わせであることが見て取れます。
 また、沖縄の戦後の闘いを担ってきた反戦地主の有銘政夫さんからお話をうかがいました。有銘さんは、戦前に一家でサイパンに移住し、戦後沖縄に帰った時には米軍が郷里をフェンスで囲い込んだために帰れず、戦後の土地闘争、反戦反基地運動を闘ってきた方です。有銘さんは、「今の政治では安保が当たり前だと言われるが、米国の片棒を担いでいては去った大戦の犠牲の比ではなくなる」と、戦後一貫する米国追随の政府に対して痛切に批判しました。

★地元学生とも交流
 今回のツアーでは、沖縄の学生との交流会も行いました。沖縄ではここ4年間連続して米軍人関係の事件事故が増加し、今年に入っても女性暴行事件が発生するなど、米軍による人権侵害が日常化しています。被疑者を日本の警察が逮捕できないなど不平等な日米地位協定の改正は、緊急を要する課題です。日米地位協定を変えようという趣旨でフォーラムを開いた県内の学生たちと交流することができました。


基地に隣接する普天間第2小学校屋上から見た
普天間基地。手前は小学校の運動場

★安保の矛盾が見えた
 ツアー期間中は参加者同士、沖縄の基地の話に始まり、今年に入ってのイラク戦争や日朝問題にも話が及びました。ある参加者は、最後の感想会で「沖縄が好きで沖縄で暮らしたいと思っていた。日常の中に基地があるというのを感じた。沖縄では安保の矛盾が見えやすいが、現在の日本の状況を見ると、日米安保は国全体にかかわっていると感じる。本土で安保問題を取り上げて広げていきたい」と話していました。
 私たちの滞在中にも、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を偵察していた米軍U2偵察機が県民の反対の声を無視して、韓国から嘉手納基地へ移駐するなど、米国の北朝鮮敵視政策をめぐる動きが飛び込んできました。イラク戦争が近づいた昨年末からは、米軍の夜間訓練の騒音がひどすぎて夜中に起こされたという人もいます。それを生み出している諸悪の根源である日米安保を破棄するため、学生の中でいっそう、日米安保の問題を訴えていきたいと思います。


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