労働新聞 2003年9月25日号 通信・投稿

島が消えた

ひまな ぼんぺい

 6月はじめ、福岡での所用をすませたあと、両親が2人で住む山口県宇部市に寄った。
 博多から高速バスで宇部中央に着き、そこで市バスに乗り換えて家のある常盤駅入り口に行くのだが、15年ぶりの帰郷とあって、どのバスに乗ればよいのか探すのに一苦労。宵の口だというのに、宇部の中心部はひっそりとしている。以前はもっとにぎわっていた。
 メーリングリストでやりとりしている高校の同期生に事前に連絡して会うというのも1つの手だったが、2泊しかできないので、この秋そろって86歳になる両親のそばでごろごろして過ごすことにした。
 「家がわからんといけんと思うてのお」と、バス停の近くで待っていた親父。
 風呂から上がると、焼き穴子に鶏の手羽元と玉ねぎを甘辛く煮たものを出し、「はじめはビールじゃろ? ウイスキーも出しちょこうかね」と勧めるお袋。
 2人とも耳が遠くなったせいで、テレビの音がうるさい。
 福岡で飲み過ぎたせいで胃が重かったのだが、「これも親孝行」と勧められるままに飲んだところ、翌朝「いつまでもダラダラ飲んじゃだめぞ。ぴしっと切り上げんとのお」と親父に言われてしまった。
 「海に行ってみんかね」とお袋が誘うので、2人で出かけた。歩いて5分で海岸に出る。道の両側は、かつては畑と水田だったのだが、家が立ち並び、遠浅の海水浴場だった海岸線はすべて堤防でおおわれてしまい、僕の記憶に残るものはどこにもない。
 瀬戸内海の周防灘に面し、正面に大分県の姫島や国東半島が見える。小学校のときに読んだ『ノンニの冒険』に、ノンニがボートで海に出て釣った魚をバター焼きにして食べながら海を渡る話があり、それをまねて大分まで行ってみようと考え、国鉄の駅に張ってあった地図で測ってみると40キロもあってあきらめたことがある。
 「鍋島がなくなったぞ」と、兄から聞いていた。鍋島は500メートルくらい沖合にある鍋を伏せたような形の小島で、干潮時には歩いて渡れた。
 この島に小学校3年の夏はじめて泳いで渡った。もちろん満潮時である。潮に流されるので、実際には600メートル以上泳ぎ続けないとたどり着けない。このことは、僕にとって数少ない得意な思い出の1つであった。
 その島が消えていた。ちょうど鍋島があったあたりまで山口宇部空港が拡張され、島を削って埋め立てたということだった。
 「もうちょっと歩こうかね」とお袋に言われ、海岸の崖にあった洞穴(ほらあな)のところに出た。子供のころには上に松の木が生え、ずいぶん高く感じていた崖だが、こんな低いものだったのか。
 この洞穴には当時、入れ替わり立ち替わりで人が住んでいた。中学生だった兄のクラスに転校して来たFさん一家も一時期ここに住んだ。
 この一家も知らないうちにいなくなったが、国鉄の駅の水道からくんだ水をバケツで運ぶのがFさんの仕事だった。彼らは台風が迫ると駅に避難する。
 煙出しの穴を掘ったり、中をくり抜いていくつもの棚が作られていたこの洞穴も今は半ば崩れ、草が生い茂って、昔を知らない者はここに人が住んでいたなんてことは信じないだろう。
 幸い8月下旬にもう1度宇部に帰る機会が訪れた。このとき、お袋につきあってバスで郵便局に行った。
 「女性ドライバーが多いな」と思って目の前を通り過ぎる車を見ていると、
 「46台じゃった」
 と言う。バスを待つときには、ボケ防止のため車を数えることにしているのだと。恐れ入りました!


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