労働新聞 2003年9月5日号 通信・投稿

上場台地の百姓から
その10
俺にはやっぱり農業しかない

佐賀・田畑百生

★その時に備えて

 この国の支配者は、戦後一貫して産業を発展させるため、彼らの都合で、支配している人を生かさず殺さずにやってきた。農民が大事だといっていながら、工業立国になった。少しずつ自分たちの取り分を庶民のほうにまわすようなふりをして、気づいた時には自分だけは安全なところにいるというのが今までの常でした。
 農業という職業は、自然に逆らってはやっていけないものですから、農民は「なるべくしかならない」「世の中、自然の流れにも逆らってはいけない」と思っている面があります。観念的なんです。なかなか尻をたたいても動かない時がある。第1
次減反の時に、なあなあですませたから、農業情勢はどんどん厳しくなっていったんです。
 ところが、唯物弁証法が自然ですし、農民はそういう中で生きていますから、農業やってて間違ったことをすれば作物は育たない、段階を踏んでいかないとまともな作物はつくれない、ということを知っています。いつかは世の中変わらざるを得ない、とも思っています。今の支配者がどうしようと、そういう時代は来る。明日来るかもしれないし、何百年先かもしれない。そうならないと説明がつきません。
 抵抗すべき時には抵抗しないと悔しいじゃないですか。抵抗してすぐにどうこうならないかもしれませんが、だれかが抵抗して、討ち死にしてみないと敵の手の内も見えない。武士の時代から資本主義の時代になってまだ百何十年、「その時」はそう先ではない。時代のスピードが速いですから、崩壊するときは早い。その時に備えておかねばいけない。
 かつていっしょに減反に反対していた仲間と連絡を取り合ったりしています。今はそれどころでなくても、かつては心の底で燃えるようなものがあったわけですから。時代の流れが変わってきたぞ、という時には、また燃えるかもしれない。かつての経験が生きてくるはずです。

★終わりに

 自分たちの将来、子や孫の世代、50年くらい先のことまでは責任をもたねばならないと思います。自分の生い立ちなどを子や孫にも話して、自分が一生懸命働いてきたから今の時代があるんだよということを説明できなければいけないと思う。
 俺たちの親は、戦争を経験し、工業立国になって、農業が捨てられていったことを説明してこなかった。「お前は今から先、農業やめてもいいよ」としか言わない。でも自分には、やっぱり農業しかない。今は、仲買の仕事をやっているが、本来はクワをもって畑に行く人間なんです。そんな自分の生き様を世間に向かって説明できる人間になりたい。そんな思いもあって、長々書かせていただきました。ありがとうございました。  (完)


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2003