労働新聞 2003年8月25日号 通信・投稿

建築業はデフレ犠牲の最先端

建築関連労働者 林原 芳信

 「おい、芳。明日はゴルフだ。6時に出発」。せっかくの休みだというのに、しかもゴルフが嫌いな俺がなんで社長につき合わなけりゃならないんだ。そう思いながらも、社員が2人しかいないんじゃ断るわけにもいかないし、断ったらどんな目に合わされるか。
 次の日は5時に起きて出かける。ゴルフが終わってもそれからが長い。何軒も飲み屋につき合わされるが、飲めない俺には苦痛でしかない。そして家に帰るのが夜中の2時。次の日は仕事だ。これが建築業界の、徒弟制度そのままの社長と労働者の関係だ。
 勤務時間もめちゃくちゃだ。朝8時に会社に出る決まりになっているが、そんなのは月に何日かしかない。直接現場に出向き、仕事が一段落するまで帰れない。夜7時に会社に戻るのがほぼ毎日で、時には8時、9時になる。雨が降った、お客が文句を言っているといっては、休みの日でも現場に呼び出される。丈夫さだけが自慢の俺も、さすがに病気で入院してしまった。夜まで働いて、休みの日も働いて残業手当などあるはずがない。どこの建築会社も皆同じだ。
 給料も入社以来毎年下がりっぱなしだ。去年の暮れには半月分出たボーナスも、今年の夏は出なかった。社長は「今年いっぱいで終わりだな」と口にする始末だ。
 俺が今の会社に入ったのは4年前。その前は別な建築会社で3年ほど働いていたが、リストラされた。その前は自分で独立して工務店をやっていたが、バブルが崩壊してパッタリ仕事がなくなり、店を閉めた。
 会社は、1戸建ての木造住宅を建築して売る商売をしている。俺が入社したころはけっこう売れていた。今でも売れないわけではないが、デフレで住宅価格がどんどん下がるが材料費は下がらないので、利益が出ない。価格が安くなったからといっても、ふところが寒くては買えるはずがなく、買い手が減った。
 じゃあどうやって生き残るか。そこで、経費を浮かすために大工さんの首が切られる。柱を細くしたり、3本入れるべき鉄筋を2本にするなどの手抜き工事がやられる。
 俺がいる会社の社長は「良いものを安く」をモットーに、それを実行している。そこだけはりっぱだと思うが、他の同業者は冷ややかな目で見ている。手抜きをしなければ生き残れないのも実際だからだ。
 家を建てる工程も昔とは大きく変わって、これもいろんな業界とそこに働く人の職を奪っている。昔は、設計図をもとに大工が木を組み立てる、タイルや塗装、電気、水道など業者が工事に入る。だが今は、大手の工場とその下請けが寸法に合わせて材木を切り、それをある程度組み立てて塗装までする。だから、大工さんの建築現場での仕事が極端に減り、塗装業者もクロス張り業者もいらなくなってしまった。キッチン業者はタイルまでセットで持ち込むので、タイル屋さんの仕事はなくなった。
 どこどこの塗装屋さんが店をたたんだというような話ばかりが聞こえてくる。昔は現場でいっしょに弁当を食っていた年季の入った大工さんや、工事の若い連中が今は現場にはいなくなってしまった。
 建築業界は、今のデフレ経済で犠牲にされるその最先端にいるんだと思う。「景気がよくなればなあ」、そんな言葉もむなしい。こんな社会ってなんだろう、皆さんそう思いませんか。


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