労働新聞 2003年8月25日号 通信・投稿

地方高校の現場より
「終戦の日」に半旗を強制
公教育の責任放棄した国

高校教員 福間 俊治

 私がA県の高校に勤めて20余年。現在は、郡部にある職員数が約60人、生徒数約600人の職業高校に勤めている。8月15日の朝、生徒たちが集まったときに、今日は何の日か知ってるかと尋ねると、「終戦の日」と答えたものが6割近くおり、しかも58年目だと答えるものまでいた。きちんとニュースを見ているらしい。
 その日、事務室に行くと声をかけられた。「今日は半旗が掲揚されているので見ておいてね」「えー!。だれが死んだんや?」「今日は終戦記念日やないのオ」「そやからどないしたんや? いつからそうなったんや?」「前からそうやったやないのオ。県からの通知があるんやで」「そんなん初めて聞いたわい。それやったら沖縄戦、広島・長崎、近くは阪神大震災とか何ぼでも半旗を揚げなあかんことがあるやろうに、何で8月15日だけやねん」「なんでやろなあ」「そんなん言いよったら、9月11日にも揚げろと言うて来るんとちゃうんか」。時間のない中でこんな会話をしながら、皮肉ってみた。
 日常生活の中で非日常の事態がひたひたと確実に進行して行っている。教育基本法改悪をテコに、その母屋たる日本国憲法をひっくり返すもくろみが小泉政権下で刻一刻と進行している。
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 学校生活や学業に適応できなかったり、親の失業など経済的理由で退学していく生徒は全国では年10万人以上、A県でも約2000人を数える。これは学校2から3校分になる。
 国は中学卒業者の急増や高校進学率急上昇に対し、学校教育政策をおろそかにし、将来への投資としても財政的におろそかにしてきた。さらにせつな的なバクチ経済で国民をごまかし、競争、分断を進め、正義のない社会構造をつくり、退廃的な人生見本づくりを進めてきた。
 生活の困窮や離婚や家庭内暴力なども含めた子供を取り巻くこのような家庭環境悪化と、大人社会の反映として学業不適応や不登校を招いた。ていねいな義務教育をおろそかにしてきた結果を、「多様な生徒の増加」という言葉でごまかしている。
 県財政が逼迫(ひっぱく)しているとはいえ、国が進める国民総IT(情報技術)化推進事業では、時給6000円というべらぼうな講師料を組み、1校あたり年6講座以上、各学校へ講習会を押し付けた。また教室ごとにケーブルを配置し、全教室でパソコンが使えるようにした。しかしウチの学校では現実に合わない。大手企業救済事業や新空港建設は進められている一方、教育にかける予算は少ない。
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 郡部では子供の数が年々減少し、学級減、分校の統廃合が進む。わが政府がお手本とあがめる米国をはじめ、欧州では1学級25人が普通であるのに、わが県の標準はいまだに40人である。文部科学省は40人の標準をはずしているが、県は決して30人にはしない。国が財政的な裏づけをしないからだという。
 学級定員を30人にすれば、生徒急増期に採用した多くの人材を有効に活用できるのにそれをせず、早期退職勧奨、新規採用の手控え、複数教科担当優遇。そして臨時教員、時間講師(いわば使い捨て労働者)の大量採用、退職教員の再任用などで正規職員の数を減らし、切り抜けようとしている。
 複数校を受け持つ時間講師が増えると授業時間割が組みにくくなり、1度組んだ時間割は変更しにくくなる。それは自習や落ち着いて読書する習慣がついていない生徒たちが多く、自習監督が困るような状況があるから、自分で授業時間割を変更して別の日に受け持たねばならないからである。そうすると、年次休暇をとりたくてもなかなかとりづらい。
 また学校という職場は今でも劣悪な環境である。学校完全週5日制にしても教員の仕事量は減らず、結果的に残業が増加し、平均残業時間は週8時間を超える。持ち帰り仕事が増える。組合の要求により、やっと休憩室や女性の更衣室を設置してきたが、職員食堂はない。面談室、カウンセリング室、少数指導はまだまだ夢である。
 放課後や増加した休業日に対し社会教育の整備は進まず、生徒たちは行く所がなく、手っ取り早くアルバイトをする。民間活力の導入といって教育産業に大きく市場を開いたり、また公設民営の学校構想もある。まるで公教育の責任を放棄してしまい、グローバリズムを推進するのに都合のよいよう、国民を洗脳をする機関にしようとしているのではないか。


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