労働新聞 2003年7月25日号 通信・投稿

上場台地の百姓から
その7
現金が農民の生活を支配

佐賀・田畑百生

★かつて「百姓の天下」の時代があった

 農家が朝昼晩の3度、白いコメをたくさん食べられるようになったのは、俺が青年団をやってたころからの話で、そんなに昔のことじゃない。電話が各家庭に普及したのもそのころです。
 じゃあ、生活が豊かになったかというと違う。それまでは「自分たちでつくって自分たちで食べる」でよかったのが、現金収入がないと人並みの生活をおくれなくなりました。生活水準を上げたということは、今までいらなかったお金を必要としたということなんです。「消費は美徳」という考えが田舎にまで広がって、都会の暮らしのまねごとのためにお金がいるようになって、農業だけではお金が足りなくなった。
 それでも、今から10年前までは、ごまかしごまかしやってきた。減反が増えても、コメがだめなら果物がある、果物がだめなら野菜がある、野菜がだめなら畜産がある、と。なんとか、意欲のある農家は経営努力してやってきました。
 野菜をつくるにしても、工夫すれば、なんとかなった。そのころ有機野菜などもはやって、講演会もあちこちでありました。しかし、有機農業で本物の野菜・コメを信念をもってつくるという農家は悲しいかな、それほど増えませんでした。全体の器、農業経営者が減ったということもありますが、値段が高いから売れないんです。
 そして、今や、農業ではにっちもさっちもいかない。親は80歳近くになるが、彼に尋ねてもこんな時代は知らないといいます。「不景気になれば百姓やっててよかったって思うはず。もう2、3年したら百姓の暮らしはよくなるから一時がまんしておけ」と、親父が4、5年前に言った事があります。ところがいっこうによくならない。かえって悪くなっています。
 戦後の食糧難の時期は百姓さまさまでした。警察が銃剣もって床下まで探して食糧を集めた時代です。うちの家も土地・田畑が少なからずありましたが、食糧をたくさん持っている農家は世間からあがめられたんです。田舎に行けばどうにかなった。都会の人は知人を頼ってコメをはじめ農産物を買いあさったり、もらったりした。自分の着物と交換したりして。
 「あのころの何年かだけだ、百姓の天下だったような時は」と親父は言います。「農家が社会の中のいちばん大事な産業だ」、「嫁に出すなら農家がいい。しかも長男でないとだめ」などといわれた時代は、あのころだけだった。  (つづく)


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