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労働新聞 2003年7月5日号 学習
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マルクス主義入門
カール・マルクス著
『賃労働と資本』(4)
資本とは何か?
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搾取が資本を増大させる
これまで述べてきた賃金に対して、第3章でマルクスは、その対立物としての「資本」の説明に移っている。
資本とは何か。近代経済学は「新しい原料、新しい労働用具、新しい生活資料を生産するために使われる、あらゆる種類の原料と労働用具と生活資料」と説明している。しかし、自らの個人的な消費と生産のために労働者が蓄え、持っているささやかな家財道具や自動車、あるいは預金などが資本であろうか。そうではない。
では、原料や労働用具などは、この資本主義社会で、いかにして資本となるのだろうか。マルクスは、それは「直接の生きた労働力との交換を通じて、独自の社会的力として、すなわち社会の一部の者(資本家階級)の力として自らを維持し、増やすことによってである」と述べている。資本を増やすのは、唯一「直接の生きた労働力」、つまり労働者の労働力である。
ここで、労働者の労働を「生きた労働」、資本を過去の労働の成果・蓄積物として「蓄積された労働」と呼ぶとすると、「資本の本質は、(近代経済学がいうような)蓄積された労働が生きた労働のために新しい生産の手段として役立つという点にあるのではない。それは、生きた労働が蓄積された労働のためにそれの交換価値を維持し増やす手段として役立つという点にあるのである」。
資本家が資金を集め、工場を建てて、労働者を雇って働かせること。その労働者の労働の成果から資本家はもうけをかすめ取り、肥え太り、また、株主に配当が払われ、工場、生産資材などが維持、拡大される。その時初めて資金、工場、原料などが資本となるのである。
だから、労働者を雇って働かせることが、つまり「労働能力のほかには何も持たない1つの階級(労働者階級)が存在していることが資本の必要な前提」なのである。
ここまで、労働力が資本を増やすと述べたが、これは人間関係に置き換えると、どういうことか。これはまさに、労働者と資本家との間の社会的生産関係、階級関係として表現されていく。
「労働者は、彼の労働力と交換に生活資料を受け取るが、資本家は彼の生活資料と交換に労働を、労働者の生産的活動を、創造力を受け取る。そして、労働者は、この力によって、彼の消費するものを埋め合わせるばかりでなく、蓄積された労働に対して、それが前に持っていたよりも大きな価値を与えるのである」。労働者は労働力を売る。資本家はそれを決まった時間で買い取り、働かせる。ところがその労働は、労働者に支払われる分よりもより多くの価値(資本家のもうけ)を生み出してしまう! のだ。まさに人間の労働力とは「創造力」である。
この部分は、本書の中心的部分でもあり、「資本論」において「剰余価値」という言葉で述べられている、資本による賃労働者の搾取について解明したところである。まさに資本の本質とは、賃労働者を搾取することによって自己増殖する価値のことであった。
また注意を要するところだが、「資本は、……賃労働を生み出すことによってしか、増えることができない。賃金労働者の労働力は、資本を増やすことによってしか、自分を奴隷としているその力を強めることによってしか、資本と交換されることができない。だから、資本が増えるのは、プロレタリアートが、すなわち労働者階級が増えることである」。
この資本主義社会では、労働者が生きるためには自分の労働力を売る以外にないのだから、それは必然的に資本を増やすことにつながる。労働者が働き資本が増えれば、ますます多くの工場が建設され、多くの労働者が雇われるようになる。
「だから資本家と労働者との利害は同一なのだ」と、資本家ども、あるいは経済学者、最近では多くの労働組合幹部までもが言う。
この言い古されたペテンにだまされてはならない。たしかに、「労働者は、資本が雇ってくれなければ破滅してしまう。資本は、労働力を搾取しなければ破滅する」。しかし資本の増大は「労働者階級に対するブルジョアジーの支配が増大すること」、搾取と抑圧、賃金奴隷への支配の強まりを意味するのであるから「資本の利害と労働者の利害とが同一であるというのは、資本と賃労働とが同じ一つの関係の二つの側面だ、ということに過ぎない。この両者が互いに制約しあっているのは高利貸と浪費者とが互いに制約しあっているのと同じである」と、マルクスはこの俗論を明快に論破するのである。
(O) (つづく)
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