労働新聞 2003年7月5日号 通信・投稿

忙しいけれどお金にならない
受注金額がべらぼうに低下

機械設計士 相沢 文弥

 私は、製造機械の設計屋です。独立して20年、これまで何とか経営を続けてこれましたが、昨今ほど不況の厳しさを実感している時はありません。
 経営的には、昨年のはじめがもっとも厳しい時でした。仕事の依頼がぱったりとなくなり、仕方なく部品の図面だけを描く単調な仕事を請け負い、何とかしのいできました。その受注金額は20年前とほぼ同じで、しかもその仕事さえ途切れがちの状況でした。
 今年に入り、仕事そのものは回ってくるようになりましたが、受注金額はべらぼうに安くなってしまいました。「忙しいけれどお金にならない」、そんな状態です。
 仕事の依頼先の担当者からは「これだけの仕事をこの期間でやってくれ」と言われますが、その期間とは極端にいえば図面を描く時間にさえ足りない期間となっています。私の収入は、その仕事に要した時間を金額として請求するのですが、その時間を極力抑えられるようになってしまったのです。
 機械の設計は、創造性が要求され、設計を重ねる段階で、「ここをこう改良したらもっと良い機械ができるはず」という場面が必ず出てきます。担当者とも何回も相談を重ねながら、できるだけ質の良い機械をつくる努力をし、これまではその時間も請求して認められていたのですが、今はその余裕が相手にまったくありません。
 仕事を依頼してくれる大手の設計事務所も、元の注文先から極端に値段を下げられているため、そんな依頼内容となるのです。
 担当者との会話でも、「派遣で来てもらっている技術者は、時給が大幅にカットされている」「サービス残業がとても多くなっている」という状況を耳にします。
 かつては「良いものをつくれば、会社の利益にも必ずつながっていく」ということが信じられていましたが、今は「良いものをつくっても安くしか売れない」、そんな状況が社会全体を覆っているように感じます。
 デフレ社会の中、「安さと早さ」だけが求められている風潮があります。ですがその結果として、「品質向上を求める余裕がない」「収入は上がらず買いたいものも買えない」という悪循環に陥っているのが、現状ではないでしょうか?
 私の方でも、取引先を増やしたり、効率的な仕事のスタイルを工夫したりと、努力をする必要を感じています。でも、結局のところ、「モノづくり」を軽視している今の社会そのものの仕組みを変えていかないと、いつまでたっても先の展望が見えないという思いが強まっています。


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