労働新聞 2003年6月25日号 学習

マルクス主義入門
カール・マルクス著

『賃労働と資本』(3)
賃金はどのようにして決められるのか?

 第1章でマルクスは、賃金とは「労働力という特定の商品の価格」であることを明らかにした。するとそれは、「どのようにして決められる」のだろうか。このことこそ、労働者にとっては生きていく上での大問題、また悩みの種でもある。資本家は「妥当な賃金水準」などというではないか。憲法には「健康で文化的な最低限の生活」を保障すると書いてある。それは、本当か?
 労働力は商品である。だから「商品の価格は何によって決められるか」が最初の問題である。
 それは一般に、「需要と供給の関係」で決まる、といわれる。より具体的にいえば、「売手の間に競争が起こり、この競争が彼らの提供する商品の価格を押し下げる。しかし、買手の間にも競争が起こり、この競争が、こんどは提供された商品の価格を引き上げる。最後に、買手と売手の間に競争が起こる。一方はできるだけ安く買おうとし、他方はできるだけ高く売ろうとする」。
 ここでマルクスは綿花の例をあげ、価格の上がり下がりは必然的に、資本の市場への参入と撤退を招くため、「一定期間について産業の満干を通算すれば、各商品は、その生産費に応じて互いに交換される。だから、商品の価格はその生産費によって決められる」と解明する。
 価格の上がり下がりという市場での取引で、偶然に決定されるように見えるこの現象も、膨大な取引の諸事実をならしてみれば、生産費を、あたかも座標の軸として、その上下に動いているのである。
 このことは資本家に聞いてみればよく分かる。彼らは商売でもうけたか、損したか、その「もうけの尺度」を、彼の商品の生産費においているではないか。
 さて、問題はこの先である。「商品価格を規制しているのと同じ一般的な法則が、もちろん、賃金すなわち労働の価格をも規制している」のだから「労働の価格は生産費によって、つまり、この労働力という商品を生産するのに必要な労働時間によって、決められる」。
 では、労働力の生産費とはなんだろうか?この問いにマルクスは、「労働者を労働者として維持するために、また労働者を労働者に育てあげるために、必要な費用である」と結論づける。
 とすると、「見習期間がほとんどまったく必要でなく、労働者の生身さえあれば足りるような産業部門では、彼を生産するのに必要な生産費は、彼を労働能力あるものとして生かしておくのに必要な商品だけにほとんど限られる」。
 つまり、熟練の必要のない産業部門ほど、賃金は安いことになる。技術革新と機械化、自動化が進むほど、この部分が拡大することにも注目しなければならない。
 さらに、「単純な労働力の生産費にも、労働者の種属が繁殖して、消耗された労働者を新しい労働者に取り替えることのできるようにするための、繁殖費を加えなければならない」。
 1000万円の機械が10年間で摩耗するとすれば、年間100万円は商品価格に転嫁される。「つまり、労働者の磨損も機械の磨損と同じように勘定に入れられるのである」。労働者の減価消却分が加えられるわけだ。
 「だから、単純な労働力の生産費は、労働者の生存費と繁殖費ということになる。この生存費と繁殖費との価格が、賃金を形づくる」。
 「適正な賃金水準」? この資本主義社会ではそれは、たったこれだけのことである。
 「こうして決められた賃金は、最低賃金と呼ばれる。この最低賃金も、一般に生産費によって商品の価格が決められる場合と同じに、個々の個人についてではなく、(労働者という)種属についていえることである。個々の労働者は、幾百万の労働者は、生きて繁殖していくのに十分なだけもらってはいない。しかし、労働者階級全体の賃金は、その変動の内部で平均化されて、この最低限に一致する」。
 この、最低賃金の決定法則は、現在も同じである。種属としての労働者が死なない程度に生命を維持し、次の世代の労働者を産み、育てる。労働者が受け取る賃金は、まさにこれ以上ではない。しかも最近は、「成果主義」などといわれ、基本給はどんどん下げられる。グローバル資本主義の下では、この最低賃金すら保証されないのだ。
 現在の日本は政府も嘆くほどの「少子化」社会である。次世代の労働者を産み育てることもできなくなった社会は、労働者の受け取る賃金が、この生活費と繁殖費以下のものにとどまっていることを意味しているのだ。  (O)(つづく)


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