労働新聞 2003年6月15日号 通信・投稿

マルクス主義入門
カール・マルクス著

『賃労働と資本』(2)
賃金とは何か

 「賃金とは何か。それはどのようにして決められるか」。これが最初のテーマである。
 まず、賃金とは何か?「月20万円」などの給料(賃金)は、労働者が自分たちの「労働」を売り、その対価として受け取っているように見える。また、近代経済学、さらに最近では御用労働組合も、そう主張する。だが、これは「そう見えるだけである」。
 ここで、エンゲルスが序文で指摘した「労働」と「労働力」の違いを想起していただきたい。
「彼ら(労働者)が実際に貨幣と引き替えに資本家に売るのは、彼らの『労働力』である。この『労働力』を資本家は、一日、一週間、一カ月等々を限って買う。そして彼は、それを買った後では、労働力を約束した期間働かせる(つまり「労働」させる)ことによって、それを消費」し、製品をつくらせ、富を得るのである。
 だから「労働力」は、機械、原料などと同じ、商品そのものである。したがって「賃金とは、『労働力』の価格…ふつう『労働』の価格と呼ばれている…に対する、人間の血肉以外には宿るべき場所のないこの独特の商品の価格に対する、特別の名前にすぎないのである」。
 この項以降、繰り返し説明される「労働力」の「独特の商品」としての性格、ここにこそ、資本主義経済のすべてのからくり、秘密がある。
 しかもそれは、労働者の労働の結果としての生産物の「分け前」でもない。賃金は、資本家が手持ちの貨幣で、あらかじめ支払うのである。だから、たとえ出来上がった製品が売れるか否か、あるいはどの程度利益をもたらすかは、それをつくった労働者には何の関係もない。これは「日当」での労働を考えれば明らかなことである。
 「売上が伸びないから給料が払えない」という俗流の賃金論、あるいは会社と労働者が利益を分けあっているなどという「パイの論理」は、すでにここで見事に打ち破られる。
 ところで、労働者はなぜ、自分の労働力を売るのか?
 答えは言うまでもなく、「生きるためである」。
 だが本来、「労働力を働かせること、すなわち労働は、労働者自身の生命活動であり、彼自身の生命の表現である」はずだった。蚕は幼虫としての命をつないでいくために、つまり賃金のために、絹糸を紡ぐのではない。それは生命活動そのものである。獲物を追って野山を駆けていた原始の時代を想像してほしい。人間にとって生きることは労働することであった。ところが今日の資本主義社会の下では「彼の生命活動は、彼にとっては、生存するための手段にすぎない」。だから「彼は労働を彼の生活の中にさえ含めない。労働はむしろ彼の生活(生命)を犠牲にすることである」。労働者は、資本家によって買い上げられた何時間かの労働を、「彼の生命の発現と、彼の生活と、認めているであろうか? その逆である。生活は、彼にとっては、この活動の止むところで、食卓で、居酒屋の腰掛けで、寝床で、始まるのである」。マルクスのこの指摘は、はたと膝を打つほどに、実感に満ちた話ではないか。労働者にとって、確かにそここそが、ほっとし、人間としての自分を取り戻せる場所である。
 「生命活動を、…必要な生活資料を手にいれるために、他の人間に売」っているがゆえに、この資本主義社会では労働は、実につまらない、いとわしいものとなる。資本家は、「仕事は生きがい」とか「やりがいのある仕事」などとあおって、労働者に懸命に働くよう求める。はては過労死の悲劇である。また、このペテンにだまされて、仲間を「怠け者」「仕事のできない奴」などと差別することはないだろうか。これこそ資本家どもの思うつぼである。本来人間的であるはずの労働が、かくもしんどいのは、この資本主義社会そのものに原因があるのである。
 以上のように、労働者は自らの労働力、つまり生命の8時間、10時間……を毎日毎日、資本家に切り売りしている。したがって逆に、労働者は自分の都合で資本家の元を去ることができるが、逆に資本家もまた、労働者から利益が引き出せなくなれば解雇する。だが、「労働力の販売を唯一の生計の源泉とする労働者は、生きることを断念しないかぎり、買手の階級全体すなわち資本家階級を捨てることはできない。彼は、あれこれの資本家の持ちものではないが、資本家階級の持ちものである」。労働者は生きるためには、労働者であること(労働力を資本家に売ること)をやめることはできないのである。これが資本主義のもとでの「自由な労働者」の運命である。ここで、マルクスは奴隷と農奴と賃労働者の違いを示し、賃労働の歴史性を分かりやすく説いている。
 この章の最後に1つ。「自分を売りつけること、すなわち、この資本家階級のなかに1人の買手を見つけることは、彼が自分でやらなければならない仕事なのである」。失業している労働者、あるいは失業を経験した人ほど、実感をもって読める部分ではないだろうか。    (O)(つづく)


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