労働新聞 2003年6月5日号 通信・投稿

マルクス主義入門
カール・マルクス著

『賃労働と資本』(1)
『賃労働と資本』の成り立ち

プロローグ

 「おい、今年は給料上がんねぇみたいだぞ」
 ここは下町の下請け工場。昼休み、弁当をかき込んでいたクマさんに、同僚のトラさんが話しかける。
 「ふん、前から組合は『賃上げよりも雇用』とか言ってたからな」
 「この不況だしな。まあ、クビがつながっただけでもめっけものか」
 あきらめ顔で語るトラさんに、はしを握るクマさんの手が止まる。
 「じゃあ何か? 会社がもうからねえ時は、俺らの給料も下げていいってか? 大体、ホントにもうかってないのか」
 クマさんの反論に、トラさんはちょっとあわてる。
 「だって、『会社が発展してこそ、俺たちの生活もよくなる』。だから、仕方ないんじゃ…」
 「俺もこの前までそう思ってた。だけど、『賃労働と資本』って本を読んで、考えが変わったのよ」
 「へぇ、何か難しそうだな。どんなことが書いてあんだ?」
 「よくぞ聞いてくださった」
 クマさんは得意気に話し始める。
   *  *  *
 『賃労働と資本』は、マルクスが、1847年の冬にベルギーのドイツ人労働者協会で行った経済学の講演をもとにしている。マルクスはそれを、1849年、「新ライン新聞」に「賃労働と資本」という表題で論文として掲載した。
 『賃労働と資本』は、当初のマルクスの構想によれば、(1)賃労働の資本に対する関係、労働者の奴隷状態、資本家の支配、(2)こんにちの制度のもとでは、中間市民階級といわゆる農民部分の没落が避けられないこと、(3)世界市場の専制的支配者である英国がヨーロッパのいろいろの民族のブルジョア階級を商業的に隷属させ搾取していること、の3つで構成されることになっていた。しかし、当局の処分などによって、結局(1)の部分のみしか書かれず、未完のままとなっている。(1)〜(3)の全体を網羅(もうら)するのは、1868年の『資本論』を待たねばならない。
 マルクスがこの講演を行い、執筆に当たった1847年から49年という時代に注目しておくことは重要である。この時期、ヨーロッパは民主主義革命の嵐が吹き荒れ、労働者階級はじめ民衆は武器を取って革命に加わった。しかし、この革命はどこでもブルジョアジーの裏切りのために敗北せざるを得なかった。以降、労働者階級は、ブルジョアジーの指導下にとどまるのでではなく、それに抗し、民主主義革命の徹底と、社会主義革命の実現を目指して闘うことを自らの任務とするようになる。そして、そのためには、階級闘争の歴史的意義と資本主義社会のからくりとその運命を正確に教える科学的社会主義の理論を身につけ、労働者階級が自分自身の階級的地位と歴史的使命を、はっきりと自覚することが必要であった。
 マルクスとエンゲルスが1848年に著した『共産党宣言』は、まさにこの任務にこたえようとするものであり、本書『賃労働と資本』は、それを経済学的な分析によって裏づけようとするものである。
 まず、この『賃労働と資本』を読むに当たって、エンゲルスによる序文を熟読することをお勧めする。
 ここでエンゲルスは、『賃労働と資本』が発刊に当たり、彼による訂正が加えられていることを明らかにしている。エンゲルスは序文で、「これは、マルクスが1849年に書いたままのパンフレットではなくて、ほぼ彼が1891年にはこう書いたろうと思われるパンフレットである」「原本では、労働者は賃金と引き替えに資本家に彼の『労働』を売ることになっているが、このテキストでは彼の『労働力』を売ることになっている。…これはたんなる字句拘泥(こうでい)ではなく、むしろ経済学全体のうちでもっとも重要な点なのだ」(国民文庫版、以下同)と述べている。
 労働者が日々資本家に売っているものは「労働」ではなく「労働力」であることがなぜ重要なのか。
 「労働力」とは、人間が富を生産し、価値を創造する肉体上・精神上の能力、すなわち「労働する力」のことである。「労働」とは、この労働力を実際に使用して富を生産し、価値をつくり出す行為である。この二つを区別することは、きわめて重要である。そして、その「労働力」は砂糖などと同じく商品であり、しかも価値を増やす特殊な商品であることが、この書を通じて解明されていく。
 ここにこそ資本主義社会のからくり、搾取の秘密を理解する鍵、剰余価値理論の中心がある。そしてそれこそ、資本主義社会での資本家と労働者との非和解的な関係の基礎でもある。   (O) (つづく)


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