労働新聞 2003年5月25日号 通信・投稿

川辺川水利訴訟で
農民勝訴

日本一の清流にダムいらぬ

熊本 福竹 文弥

 国が熊本県相良村に建設を計画している川辺川ダム建設問題で、ダムから農業用水を引く土地改良事業(利水事業)をめぐって、「利水事業はいらない」 と主張する反対派農民が起こした「川辺川利水訴訟」の控訴審判決が五月十六日、福岡高裁であっ た。
 判決は「対象農家から事業に必要な同意数が得られていないので、事業は違法」というもので、一審の熊本地裁判決をくつがえし、原告逆転勝訴となった。
 農水省は、十九日に最高裁へ上告しない方針を示し、判決は確定する見込みだが、利水事業については「対象面積を縮小して、事業への同意を取り直す」とあくまでも事業を継続する 構えだ。
 政府の公共事業見直しで全国各地のダム建設が中止される中でも、川辺川ダムは見直しの対象外とされ、農水省、国交省はメンツにかけてもダム建設を推進する姿勢を変えていない。
 川辺川は、九州脊梁山地の国見岳に水源を発し、八代海に注ぐ球磨川の支流(といっても合流点では球磨川本流より水量は多く、本流と言ってもよい)で、全国でも有数 の清流である。その清流の素晴らしさは、一九九七年に環境庁(当時)がまとめた河川水質調査でも、全国二千五百二十四水域のうち、川辺川下流が環境基準満足度で 「日本一」の折り紙がついている。流域には八千人が暮らし、夏になれば子供たちが 日本一の清流で水泳をする。
 川辺川ダムは、当初は洪水防止のための治水を目的に六六年に計画が発表され た。その後、六八年に農地改良などの利水、発電、流量調節などを加えた多目的ダムとして計画が変更され、以来約三十数年にわたって、ねばり強い反対運動とともに、建設の是非が問われ続けてきた。
 「五木の子守唄」で知られる五木村では、村の中心部がダムの湖底に水没する予定 で、すでに村役場や水没地の九割の住民が代替地へ移転し、周辺の各種工事が進んで いるが、ダム本体の着工は見送られている。
 当初は水没地権者らを中心に、村あげての反対運動が続けられたが、計画の長期化の中でダム受け入れを余儀なくされた。その後、環境破壊に反対する世論の高まりなどを背景に川辺川を守ろうという運動が再び高まってきた。また政府の農業切り捨て政策によって農業をとりまく条件が大きく変化する中で「利水事業はいらない」という声が、本来受益者となる農民の中からあがってきた。
 農水省は農民の同意を取り付けるため、しゃにむに同意書への署名集めを行ってきたが、今回の判決は、国が強引に推し進めようとする利水事業の違法性がはっきりしたもので、ダム本体着工に大きく影響することは必至だ。
 また、球磨川漁協が河川流域の漁業補償受け入れ反対を決め、国が熊本県収用委 員会に漁業権の強制収用を申請し、審理が続いている。六月にも審理終結と見込まれているが、これへの影響も必至だ。
 いずれにしても、利水事業の進め方が「違法」とされ、ダム建設はその目的の一つを失った。治水にしても、河川改修が進んでいるし、むしろ山林の保護による「緑のダム」がとられるべき政策だろう。
 さらに熊本県は昨年、赤潮など水質悪化や土砂堆積対策などでは発電量が少ないのに維持費がかさむことなどを理由に、球磨川下流にある県営荒瀬ダム(藤本発電所)の撤去を決めた。坂本村の村民の間に高まったダム撤去の声を受けた形で、全国でも初の完全撤去となる。下流のダムは撤去というのに、上流に新たにダムをつくるという矛盾は、いっそう際立ったものとなっている。
 私も、仕事の関係でかつて何度も五木村に足を運んだが、川辺川にそって国道とは名 ばかりの悪路と、錆びついて朽ち果てたガードレールの道を通っていったのを覚えている。村の人から「ダムに水没するからという理由で、国が予算をつけてくれない」と、放置政策がとられていることを聞かされた。公共、公益というが、ダム建設はふるさとを奪われ水没する地元にとっては何の利益にもならない事業なのだと思った。
 取り付け道路などの整備も進み、村の中心部のほとんどが移転してしまったが、「ダム計画以来、三十七年間も人権無視が続いている。中止なら中止でもいい。早く上流も下流も笑って暮らせる地域をつくってほしい」と、ある村議は訴えている。その通りだと思う。
 ふるさとを破壊する大型公共事業のあり方、政・官・業のゆ着、食い物にする政治家、大都市集中と地方切り捨て、あらゆるものが川辺川ダム問題から見えてくる。


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