労働新聞 2003年2月15日号 通信・投稿
インフルエンザが大流行している。今年は、A型もB型も流行っているようで、1回かかったからもう免疫ができて大丈夫とはいかぬらしい。人によっては両方とも、つまり2回もかかる人が出ているとのことだ。インフルエンザにかかったら、以前はすぐに抗生物質を病院で処方されて飲んでいたし、熱があれば解熱剤が出ていた。そうして3〜4日すれば、何とか山を越え治っていた。抗生物質さまさまである。
私は抗生物質がインフルエンザ・ウイルスを駆逐して、効果があるのだとばかり、ずっと長い間思ってきた。だが実態は違い、インフルエンザに効くような抗生物質は目下ないそうだ。インフルエンザにかかって、それが原因で肺炎などの他の病気を併発しないように、抗生物質が処方されていたとのことらしい。「万病の元」にならぬための処方で、ウイルスそのものには、ひたすらこれ耐え、体力を回復させ、脱水症状を起こさぬよう気をつけ、治るのを待つというのが唯一の対策だったとのことだ。
私の「山の神」は看護婦で、私がインフルエンザにかかり高熱を出し背骨もズキズキ痛いので、良く効く抗生物質をもってきてくれと頼むと、そんなものは効かないとにべもなく拒否し、ようやく持ってきた薬は解熱剤とポカリスエットだけだった。紺屋の白袴、医者の不養生、看護婦の病気知らず! と私は罵ったものの、残念ながらこの論争は医学的に私の負けであった。
ところで数年前から、インフルエンザの症状に抜群に効くタミフルという薬が出回り始めた。罹患(りかん)したとわかり、早めに飲むと症状は驚くほど軽くてすむということで、今年はどこの病院でもこの薬を処方したようだ。ところが、このインフルエンザの大流行のあおりで、需要に間に合わず、この薬がついに市場からなくなってしまった。ヨーロッパの製薬会社が開発したもので、輸入元は一番大事なときに手持ちが底をつき、記者会見を開いて神妙にお詫びしなければならないほどの事態へ発展してしまった。つまり、もうけそこなった。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉があるが、インフルエンザはバッと流行する。わが家の「山の神」が勤める病院も例外ではなく、先月、どっと患者が外来に押し寄せてきた。来る人来る人皆インフルエンザで、外来は普段の2倍を超えた。対応にてんてこ舞いとなった。当然ながら、看護婦も罹患が避けがたく、インフルエンザにかかって欠勤する人がつぎつぎに出た。猛烈に忙しいピークに勤務態勢に穴が空き、そうでなくとも看護婦が足りないその病院の看護体制はいわばパニックとなった。わが「山の神」は、休みも取れず連日くたくた、あげくに本人も罹患した。
そこで例のタミフルを早めに飲んで、インフルエンザにかかっているにもかかわらず、無理を押して出勤しなければならないところに追い込まれた。身体は何とか持ったようだが、その奮闘ぶりも大変だったのがよく分かる。そして勤務医も同様で、いつもの倍以上の患者への対応に、こちらもへとへととなった。ただでさえ他の病院に比べ報酬が少なく、医局の都合で渋々承諾してやってきている勤務医の不満は当然ながら大いに高まった。
ところで病院にとって、インフルエンザの大流行は格好の機会で、患者がドッと来れば、それだけ売り上げが上がる、いわば経営者はウハウハなのである。ことわざどおり、風邪が吹いてもうかってしまうのである。
そんな折り、「山の神」氏が、怒り狂って病院から帰ってきた。しばらく口もきけないほどに憤っている。もう病院を辞めるとも言う。この大失業時代、辞めていただいたらわが家はさっそく食い詰める。さてどうしたものかと事情を聞いて、私も強い怒りをいだいた。実は、勤務医が大変と言うことで、「内緒」で勤務医にだけ臨時の手当が支給されていたのだ。ところが人の口に戸板は立てられず、ある医者が臨時の手当をもらっていたことを看護婦にポロリともらしたのである。その医者は看護婦にもてっきり支給されていたのだと思っていたらしい。ところがどっこい、そんなことは決してない。ケチでワンマンで、従業員のことなど消耗品ぐらいにしか認識していないこの理事長は秘密にした上で、医者だけに支給したのである。
このインフルエンザの大流行でまさにへとへとになるまで、また病気を押して働いたのは医者だけではなく、看護婦もそうだし、従業員は皆同じなのだ。医者と同額とまでは言わないが、従業員全員に、いささかでも手当を出して労をねぎらうというのが、人を使うものの常識であろう。この理事長には、その常識がない。加えて、昨年末のボーナスは世間の不況を理由に一方的に大幅カット、賃上げもなし、といった状況なのである。当然従業員のモラリティは低くなる、だれがこんな病院に尽くすものかと心の中で皆思っている。臨時手当の差別的支給事件はたちどころに全病院に伝わった。皆ブツブツ言い始め、ただならぬ雰囲気が漂い始めた。
さてそんな折りもおり、病院設立記念日がやってきた。年1度、県の役人や医師会のお偉方、議員などを呼んでホテルでパーティーが華やかに開催される。理事長としては自分の権勢を各方面に知らしめる年1度の恒例の行事なのである、失敗は許されない。直接に担当する事務長は、細心の注意を払いこれを準備する。何せ事務長なる人も取引銀行からの出向社員で、これに失敗すれば早々と病院を追われる羽目になるのである。
だが、どうなったか?
例年、勤務があるものを除き、ほとんどの従業員が参加し、立食であるがにぎやかに交流・親睦を図り、設立を祝うのである。しかし今回はまるで異なった。外からの招待客の参加の数は変わらないものの、予定していた肝心の従業員の参加が当日になってつぎつぎに減り続け、なんと開設以来、最低の参加者数になってしまったのである。広いパーティー会場は急に減った参加者には追いつけず、ガランとしたまま、華やかな会場であるだけに逆に白々しさがキチンと強調されることと相成ってしまった。葬式のような雰囲気の結婚式になってしまったのである。ささやかな抵抗なのだろう。しかしそこに、従業員の素直な気持ちが表れている。この事態を理事長が見て取ったのかどうか、どう理解したのか、今のところは分からない。穏健な従業員も、組織的に立ち向かわなければならない段階がしだいに醸し出されてきていると思った。当然、わが「山の神」も、病院の役員でありながら、「インフルエンザ」を理由に欠席したのである。
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