労働新聞 2003年2月5日号 文化

書籍紹介

池澤夏樹・文 本橋成一・写真
「イラクの小さな橋を渡って」
イラク人の日常を冷静に伝える

ひまな ぼんぺい

もしも戦争になった時、
どういう人々の上に爆弾が降るのか、
そこが知りたかった

 ブッシュとブレアが会談し、イラク攻撃開始の照準を3月中旬に設定したという。ブッシュは「大量破壊兵器」の存在を理由に、「独裁政権の打倒と民主主義の導入」だと吠(ほ)えるが、本心は中東の石油支配とイスラエルの存続だ。事態は差し迫った。
 このような息が詰まる状況の中、沖縄在住の作家・池澤夏樹さんが『イラクの小さな橋を渡って』という小さな本を書いた。
 イラクの女性や男性、子供たちの日常をとらえた本橋成一さんの写真を多数ちりばめ、イラクの人びとの〈いま〉を伝える池澤さんの落ち着いた静かな文章が埋める。
 「新聞やテレビは国際問題を詳しく報道する。しかしその大半は各国政府と国連との間のかけひきの話であって、それによって運命を大きく左右される普通の人びとのことはほとんど話題にならない。結局のところ新聞は国際問題の専門家を自称する人たちの業界紙でしかない」
 「イラクのことを考えて、もしも戦争になった時、どういう人びとの上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった。メディアがそれを伝えないのならば自分で行って見てこようと思った」
 池澤さんは去年の10月29日から2週間、イラクの北から南まで1600キロを走り回った。彼には、ある国を見るうえでの方法論がある。食べ物に注目するのだ。これは、きっと正しい。「町で普通に人びとが食べているものだ。量と質。これはごまかせない」
 この点で、イラクは合格。
 しかし、湾岸戦争後、1992年から94年にかけて、米国と英国の主導で国連が経済制裁という名の禁輸を行った。このときの食料不足は深刻だったそうだ。それだけではない。医薬品をはじめ人びとが生きるうえで欠かせない多くのものが禁輸リストに入っている。このリストに「電球」というのがあって、アフガン侵攻のころ飲み屋のおやじさんから聞いたことを思い出した。
 「オレの友達が電球をつくる会社をやってたんだけど、イラクに売っちゃいけないってことになって、つぶれたんだよ。国連ってのは、とんでもないことを決めるんだな」
 池澤さんは「スティル・ライフ」という作品で芥川賞をとった。読んでいないので見当違いかもしれないが、題名は「静かな生活」ということだろうか。彼は、1つひとつの事象を静かに観察し、じっくりと考えて、それを文字にする。この態度が好ましい。
 たとえば、昨年秋の大統領信任投票。国民の100%がサダム・フセインを支持したとイラクが発表し、西側のメディアはこれを独裁のあかしとしてあざ笑った。池澤さんは、イラクについての西側のメディアの報道には、ナショナリズムという大事な要素が欠けていると言う。
 「国民の多くは今の危機を乗りきるために、強制によってではなく本心から、サダム・フセインに賭けて支持を表明したのだ」
 でも、自分はナショナリズムが好きでないというコメントをつけ加えて、イラク国民の目線で考える。
 「経済制裁で生活が苦しかった時期、この苦難の理由を探したイラク国民は、米国をはじめとする西側諸国が自分たちを苦しめていると考えたはずだ。抗生物質の輸入が禁じられているために自分の子が腕の中で死ぬのをただ見ているしかなかった62万人の母親たちは、自国の大統領ではなく米国を恨んだだろう。経済制裁は結果としてイラク国民を団結させ、為政者の立場を強化することになった」
  ◇  ◇  ◇  
 イラクで出会った、たとえばミリアムという名の若い母親。その手で育てられたトマトを食べ、市場でその笑顔を見た池澤さんは、彼女たちの死を想像してしまう自分を抑えることができないと書く。
 「バグダッドで、モスルで、また名を聞きそびれた小さな村で、人びとの暮らしを見た。ものを食べ、互いに親しげに語り、赤ん坊をあやす人の姿を見た。わいわい騒ぎながら走り回る子供たちを見た。そして、この子らを米国の爆弾が殺す理由は何もないと考えた」
  ◇  ◇  ◇
 本書は、90ページに満たない薄いものだが、すばらしいリポートだと思う。イラクに行けない僕たちは、せめてこの本を手がかりに、イラクの人々に思いを馳せ、ブッシュの野望を頓挫(とんざ)させるための努力を続けたい。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2003