労働新聞 2002年12月5日号 学習

マルクス主義入門

エンゲルス著(1880年)
「空想から科学への社会主義の発展」(4)

社会主義=「統制できないまでに発達した生産力を、社会が公然と直接に掌握すること」


エンゲルス(1820〜95年)

 こんにちの日本経済は深刻で、「日本発の世界恐慌」すら懸念され、資本家たちは大恐慌の再来におびえている。なぜ、資本主義社会では周期的に恐慌が起こり、そのたびに失業者が町にあふれるのだろうか。エンゲルスは第3章で、この疑問に明快な解答を与え、この矛盾の解決策として、資本主義社会の次に到来する社会主義社会の姿と、プロレタリア革命の勝利の歴史的必然性を予見した。

★社会的生産と資本主義的取得の矛盾★

 人間社会の歴史を科学的に総括すると、生産と生産物の交換があらゆる社会制度の基礎であり、いっさいの社会変動と政治的変革との究極の原因は、それぞれの時代の経済(生産と交換の方法の変化)に求めるべきであることがわかる。この観点を唯物史観といった。
 第3章では、この観点で資本主義経済を分析し、資本主義がかかえる根本的矛盾をまず明らかにしている。
 それを一言で表せば、「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」ということになる。これは重要なポイントなので、ぜひ頭に入れておいてほしい。
 資本主義的大工場での生産は飛躍的に拡大し、組織的、社会的な行為となったが、生産物は相変わらず個別的な資本家が取得(所有)している。
 つまり、資本家は工場、機械などの生産手段の持ち主であるという資格だけで、まったく他人の労働の産物を自分のものとしている。この矛盾が諸悪の根源である、ということだ。
 この根本矛盾は、プロレタリアートとブルジョアジーの対立、生産の無政府状態(大工場でつくられる製品は何がどれだけ売れるかまったくわからないまま、大規模に生産される)として現れる。この無政府状態は激しい競争を生み出し、大多数の人間をますますプロレタリアに変える。競争の強制はまた、ブルジョアジーに機械改良を迫り、それによって労働者は工場から追い出され、生活手段を取り上げられる。工場に残った労働者には、過重労働がまっているという具合いだ。
 その結果、ブルジョアジーには富の蓄積、自分自身の生産物を資本として生産するプロレタリアートの側には貧困が蓄積する。エンゲルスは「資本主義的生産様式からこれと違った生産物分配を期待するのは、電極が電池と結びつけられているのに電極が水を分解しないように要求するのと同じことであろう」と辛らつに指摘している。

★矛盾の爆発=恐慌★

 「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」は周期的に爆発する。それが恐慌=過剰生産恐慌だ。無制限な生産拡張に市場の拡大が追いつかず、交易は停滞し、工場は休業し、労働者は首を切られ、生活に窮する。
 この恐慌は資本主義的生産様式そのものを爆破しない限り、どんな解決方法もない。なぜなら、資本主義社会では生産手段は、それが前もって資本に、つまり人間の労働力を搾取する手段に転化していない限り、活動を始めることができないからである。ところが、この資本への転化を妨げているものが、生産力と生産物の過剰なのだ。
 生産力を管理する能力のない資本家たちは、しだいに株式会社、トラスト、独占、国有化へと駆り立てられていく。しかし、こうした生産の社会化(あるいは国有化)によっても、生産力の資本としての性質を破棄することを期待することはできない。近代国家はブルジョア社会が自分のためにつくり出した組織であり、ブルジョアの利益を守る機関だからだ。

★諸矛盾の解決策★

 エンゲルスはここで、これらの矛盾の解決策を述べている。それは、「社会の手によるよりほかには管理できないまでに成長した生産力を、社会が公然と直接に掌握する」ことである。 資本主義的生産様式は、ますます人口の大多数をプロレタリアに転化させることによって、この変革をなしとげざるをえない勢力をつくり出している。
 「プロレタリアートは、公的権力を掌握し、この権力によって、ブルジョアジーの手からすべり落ちつつある社会的生産手段を公共の財産に転化する。この行為によってプロレタリアートは、生産手段を、資本としてのこれまでの性質から解放し、生産手段の社会的性格に、自分を貫く完全な自由を与える。これからはあらかじめ決定された計画による社会的生産が可能になる」。
 こうした中で、階級抑圧の手段であった国家は死滅し、人間に対する政治的統治は、物の管理と生産過程の指導に変わっていく。人間は動物的な生存条件から真に人間的な生存条件に入りこみ、十分な意識をもって自分の歴史をつくるようになる。このことをエンゲルスは、「必然の国から自由の国への人類の飛躍である」と高らかにうたった。

★むすび★

 「空想から科学へ」を4回にわたり紹介した。紙面の都合で、概要しか示せなかった。ぜひ、原典に当たっていただきたい。そうすれば、そこに貫かれている人間解放の思想を感じとっていただけるだろう。マルクスが予想した「自由の国」=共産主義社会にたどりつくには長い時間と闘いが必要だろう。しかし、人類の歴史はたえず発展しており、私たちは歩みを止めるわけにはいかない。
 エンゲルスは「社会がすべての生産手段を掌握することが実行可能になるのは、新たな経済的諸条件による」と述べている。現代の日本を見るならば、生産力の飛躍的発展、情報技術(IT)の進歩によって社会はますますシステム化され、経済的諸条件は社会主義前夜ともいえる状況に至っている。
 ブルジョアジーは生産力を解放するという歴史的役割を十分に果たした。そろそろ歴史の舞台から降りていただかなければならない。なぜなら、ブルジョアジーは経済を管理する能力をもたず、国民経済と対立する立場にいるからだ。その事実は、いまやだれの目にも明らかだ。
 グローバリズムの下、あり余り、制御できない投機資金が世界中を荒らし回り、世界経済は破局の縁に立っている。一方には絶望的貧困が横たわっている。ブルジョアジーが封建制度を打ち倒したように、労働者階級が資本主義制度を打ち倒すのは歴史の必然である。
 マルクス主義=科学的社会主義は資本主義制度の下で苦しんでいる労働者の心をとらえ、闘いを前進させるための重要な武器になるに違いない。最後に、エンゲルスの文末の言葉を紹介し、連載を終えたい。
 「この世界解放の事業を成し遂げることは、近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的諸条件と、それとともにその本性そのものを究明し、こうして行動の使命をおびた今日の被抑圧階級に、それ自身の行動の諸条件と本性を自覚させることは、プロレタリア運動の理論的表現である科学的社会主義の任務である」。(Y)


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