労働新聞 2003年1月1日号 15面・文化

「home」監督 小林 貴裕さん(26歳)にインタビュー

 人間疎外の社会の中で、「ひきこもり」は一つの社会現象となっている。この問題を扱う相談窓口も少なく、行政の支援もない中で、ひきこもりを抱えた家族は社会からも孤立しがちだ。そうした現実を、内側からとらえたドキュメンタリー映画「home」が、大きな反響を呼んでいる。監督の小林貴裕さんに話を聞いた。

●映画人をめざしたきっかけは?
 
 小学生のころから、映画を見るのがすごく好きで、とにかくたくさん映画を見ました。特に70年代の寺山修司さんとか、大島渚さんなどが好きでした。
 その中で見る側でなくて、撮り手の側にまわりたいという思いがあって、高校時代から8ミリで自主制作するようになりました。最初は同級生とワァーワァー撮っているだけで、その現場の雰囲気がすごく楽しい。2001年に川崎の日本映画学校を卒業し、その卒業制作でつくった映画が「home」です。


ひきこもりを温かく見守ってほしいと語る
小林監督

●「home」誕生までの経過は?

 ひきこもりというテーマには、興味がありました。スタッフの一人も高校時代にひきこもった経験があり、作品化しようという意識は半々でした。ひきこもりの施設や当事者も取材したんです。でも、カメラを回すことを許してもらえなかった。それだったら、7年間引きこもっている自分の兄にカメラを向ければ、ひきこもりを内側から描けるんじゃないかという思いはありました。
 作品になるかどうかそんなことはわからないけど、スタッフからも「とにかくおまえは田舎に帰ったほうがいいぞ」と言われて、実家に帰ったんです。でも、帰ったらそれどころじゃない。頭の中はふっとんでしまって。自分の家族をどうにかしようという思いだけでしたね。
 カメラは回しましたが、あくまでプライベート・フィルムのつもりでした。カメラがお互いの関係性を変えていくというか、そういう形でいい役割を果たしてくれた。カメラがないと向き合えなかったということです。
 素材を映画学校の講師に見せると、これは作品化すべきだといわれて、編集しました。学内上映会での反応がすごくよかった。そこで初めてこの映画を広く公開してみようかと思えるようになった。いろんな映画祭で上映していただいて、自信が出てきました。
 それまでは、自分の家族をさらけ出して何になるのかという思いでした。家族の反対もあったりで、みんな疑心暗鬼でしたから。今では、母は息子の作品だということで賛成しましたけど、父はだめですね。この問題はこれからもずっと背負っていかなければならないと思っています。
 この作品はひきこもりだけじゃなくて、いろいろな家族の問題を描いています。だから「home」というタイトルにしたんです。母のうつ病、父の別居、団塊世代のジュニアたちの問題。古い家だからこそ、だれにも言えず、親子で抱え込んでしまう。
 啓蒙的なドキュメンタリー作品がありますが、これはそういうものではありません。もちろん社会的なテーマが「home」にもありますが、家族をどうにかしたいという気持ちが先でした。
 兄が家を出て行ってしまった時は、ほんとにバタバタしました。兄は出て行く前に自画撮りして、母や祖母に対して本音で謝っているんです。今やっと、あの映像をポジティブに見られるようになった。それでもやっぱりすごいことだなと思う、あのラストは。兄自身も、また引きこもるという恐怖感は常にもっていると言っています。それでも父の仕事を手伝いながら、次の仕事につなげるためにステップアップをやっているところです。
 
●映画上映の反応は?

 映画を見るために、地方からも来てくれたりします。この映画の上映をきっかけに当事者や家族が集まって話せる場ができれば、いいなって感じます。
 苦しんでいる家族から見れば、解決可能かもしれないということにつながる。でも、カメラ撮影がだれにでもいいということではありません。もう1度家族と本音で向き合うというところは、通じるところもあります。
 兄と対話できるきっかけというのは、映画という共通の趣味があったということです。好きなことが社会に出ていくきっかけになる。最初はインターネットから始めてもいい。当事者の会とかサークルも首都圏にもいっぱいできています。
 先が見えないすごく不安定な社会になっている。ひきこもりはだれにでもあると思う。自分も部屋に閉じこもっていたいという気持ちはあります。それが自分の場合は半日で、兄の場合は7年。そこまで飛躍していいのかわからないけど、もう少しらくに考えたらいいんじゃないかなと思うんです。親はたいへんだと思うでしょうが、少し温かく見守ってほしい。
 心地よくひきこもれた時期があったからこそ今があるみたいなことがあって、そういう期間をつくってあげることも大事です。ひきこもった原因は何ですか、とよく聞かれるんですが、ちょっとしたことがいろいろ積み重なってということもあると思うんです。

「home」の上映予定
東京・BOX東中野(1月17日まで1日1回上映)
大阪シネ・ヌーヴォ(1月7日まで)
名古屋シネマテーク(2月1日〜14日)のほか、各地で上映が予定されている。
問い合わせ先 ボックス・オフィス03-5389-5571
Webサイト http://www.mmjp.or.jp/BOX/home/

●映像文化の今後は?
 
 僕の場合は、カメラをコミュニケーション・ツールとして使っています。小型カメラだからこそ相手も意識しない。兄の時も最初はファインダーでのぞいていたんですが、1回壊されちゃったんですよ。それから液晶を開いて、下の方で回して、目と目で話す。そうするとあまりカメラを意識しないんですね。
 編集だってパソコンでやれます。映画づくりはこれまでお金がかかるものだったけど、ちょっとした企画力とかアイデアをもっていれば、だれでも撮って編集できる時代といえます。「home」をつくるのにかかった費用は、テープ代と交通費ぐらいです。
 映画の概念が変わっていますよね。ネット配信とか、いろいろなものが出てくる。今までとは違う作品が、生まれてくるでしょう。映像文化という面でも可能性が広がっています。これからは、いかにソフト力をもっているかが問われると思います。


映画紹介
「home」

監督・撮影 小林 貴裕
人間の秘めたパワーとらえる

 この作品は、ひきこもりの兄を中心にした「家族」を描いた映画だ。そこにはカメラを回す監督本人=弟も登場する。これまでの客観的報道ドキュメンタリーを飛び越えた、登場人物と作者との関係が濃厚な作品だ。
  *  *  
 物語は1本の電話から始まる。母が埼玉に住む弟に、泣きそうな声で電話をかけてきたのだ。弟は長野の実家に、カメラを手に帰省する。実家は大きな門構えの旧家で、母と兄、そして別棟に祖母が暮らしている。兄は7年間、家にひきこもりを続けているが、祖母はそのことを知らない。母は更年期でもあり、うつ病の症状がひどくなっていた。そんな母に潔癖性の兄は暴力をふるうようになっていた。
 弟は母に、埼玉に一時避難するように言うが、母は「兄のことが心配だから」といって家を出ようとはしない。


部屋にこもり、カメラに背を向ける兄

 冬になって再び弟は実家に戻るが、母の姿が見えない。母は兄の暴力を恐れて、車の中で眠っていた。寒さに凍えている母を部屋に連れ戻し、兄に暴力をふるわないように話を続ける。最初は拒絶していた兄も、だんだんと自分の本音を語るようになった。「外に出ることは、雲の上を歩く気分で、とても不安で歩けるものじゃない」。でも、「自立したい」…。
 兄も現状を肯定しているわけではなく、外に出られない自分自身と葛藤(かっとう)していたのだ。兄は母に、暴力をふるわないと約束する。
 ある日、母は兄のところに行き、自分が悪かったと詫びる。この母の姿に、兄はある決断をし、母に詫びるメッセージを残して姿を消した…。
  *  *  *
 この作品は、あらかじめ書かれた脚本にそってつくられたものではない。あくまで現実を追ったものだ。その結果として、人間が秘めたパワーの驚異を、みごとにとらえている。ラストは、それまでの重苦しさを一気に解き放すほどの、力強さを見せる。
 また、ひきこもる人を抱えた家族が、精神的に追いつめられていること、ひきこもる本人も大きな苦悩の中にいることが、ハンディカメラを使ったリアルな映像から伝わってくる。
 母は兄の暴力におびえて車の中に逃げ込み、兄は社会におびえ家に閉じこもる。不安に満ちた社会の現実が、家族にそのまま投影されたように見える。人間疎外の社会構造に対する悲鳴が聞こえてくる。
 この作品は、個人的できわめて狭い空間、人間関係を描きながらも、現代日本が解決不能に陥っている問題を提起し、記録した貴重な作品だ。
 評論家的に引きこもりの原因を論じるのではなく、ただひたすら彼らの苦しみとともにいることは、監督自身が当事者だったからできたことかもしれない。
 しかし、小林監督の制作スタイルをみていると、被写体がたまたま家族であったというふうにも見える。カメラをコミュニケーションの道具として使い、あくまで相手との対話を追求する姿勢が感じられるからだ。 それは、閉塞(へいそく)した社会で失われた人間のコミュニケーションを、映画制作を通じて必死で取り戻そうとする行為にも見える。次作にも、大いに期待したい。(U)


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