労働新聞 2002年12月5日号 通信・投稿

国交回復30年の記念事業

「日中友好の翼」に参加して
真の友好願い記念植樹

佐賀 高野 玄太

 今年は、日本と中国が国交正常化して30年になる。
 佐賀県日中友好協会は、6月の総会で、30周年を記念する事業として訪中を決定、8月より準備に入り、11月7日の訪中ぎりぎりまで、会員を中心に会員以外にも呼びかけた。
 佐賀空港発着の中国国際航空チャーター便で北京を往復。佐賀空港はローカル空港で滑走路2000メートル、中型機(120人)の運行しかできず、また120人を確保できなければ飛ばないという絶対条件もあった。訪中準備実行委員会(志気武委員長)も県日中理事会(西村正俊理事長)も何回もの実行委員会、県理事会を開いて懸命の努力を重ねて、目標の人員を確保(正確には参加者113人、添乗員5人、合計118人)することができた。
 県日中としては今回の訪中で第8回目となるが、100人を上回る訪中団を派遣できたのは初めてだ。
 参考までに、第1回の訪中は1989年9月で、当時の理事長は宮崎茂さん(佐賀県日中創設の最大の功労者で故人)だった。同年6月に起きた天安門事件の直後で、この事件を理由に会員が激減したころのことだ。孫平化会長から直接説明を受けた。これが訪中の始まりで、このことを思い起こすと感無量。
 120人の参加を得たのは旅行社、地区日中、県日中がそれぞれに協力して、テレビ・新聞各社に働きかけ、チラシを全県下に配布したなどの努力があったことを付記しておく。テレビ・新聞で見て県外から応募した人も何人かいる。
 さて、今回の訪中の目的は、
 1つには、国交正常化30周年を記念しての植樹を万里の長城の一角にすること。
 2つには、中日友好協会への表敬と、記念パーティーを行う。
 3つには、中国の一般家庭に入り、昼食をいっしょにつくって交流を深めよう
ということを決めた。

 11月8日、訪中2日目、ホテルを8時に出発、北京市の中心を抜け一路、万里の長城、八達領に向け高速道路を突っ走る。途中、北京からモスクワに向かうシベリア鉄道と並走する。昔と違って道路事情がよくなり、黄砂を巻き上げることもなく、そして市の中心部から1時間40分程度で八達領まで着くことができた。
 植樹の場所は、私が2年前日中友好協会50周年記念で2000人の全国訪中団で平山郁夫会長らと共に植えた場所から少し上に登った小高い丘。
 当日の現地は氷点下2度。ものすごい風で黄砂が舞い上がり、マスクやマフラー、ジャンパーなどを着込んでいたがそれでも寒い。平均年齢70十歳を超える訪中団だが、皆さん元気だ。
 植樹は松で、現地の人たちが準備してくれていたものを1人1本ずつ植える。植樹が終わって山を下りてきたところで、各人に北京市延慶県緑化委員会のスタンプ印の入った証明書が渡された。証明書には、中国語でこう書かれていた。
 「こんにち、世界的に環境問題が関心事となっています。今日、緑化文明の使者として、北京八達嶺長城の周囲に記念の樹を植えられました。世界文化遺産と人類の健康のために積極的貢献をしていただき、貴方の功績を永遠に碑に銘記します」
 この記念碑は、山を下りたところにある中国長城博物館の前にあり、参加者一同の名が刻まれていた。私たちが植樹をした場所から200メートルくらい離れた場所に、今年9月22日、1万2000人の訪中団中、5000人が植樹をした記念碑が建立されていた。この植樹を通して、真の日中友好が促進されることを望んでいる。 (続く)


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