労働新聞 2002年11月5日号 通信・投稿

わが家にネコがやって来た

ゆー&ミーの物語

友部 孝夫

家に帰るとそこには…
 話は昨年の11月にさかのぼる。わが家にリスが舞い込んで来た。その日は日曜日で、私は米軍のアフガン攻撃に反対するイベント(出店などを出す平和まつりのようなもの)に水ギョーザの店を仲間と出していたので、帰りは夜遅くなった。
 家に帰ると、何とリスがいるではないか。事情を家人に尋ねると『外で発見・保護した』とのこと。飼い主がいるかもしれないので、1週間「迷いリス預かっています」という張り紙を出して、飼い主が現れなかったら家で飼う。という計画も聞かされた。結局飼い主は現れず、わが家の家族構成に変化が生まれた。うちは家族3人であった。私とその妻、および息子である。

入れかわり立ちかわり
 息子は1990年の生まれで、生まれた当時の世界情勢は、湾岸危機から湾岸戦争へという緊迫した世情であった。自分の意志ではなかったが、彼は生後2カ月でデモに参加した経験をもつ。
 彼にきょうだいはいない。日本社会では少子化現象が各方面に様々な影響を与えているが、私もその原因を作っている1人である。ただ、これは個人の努力(一面の努力は怠らなかったのだが)で解決出来る問題ではない。日本列島のヒト許容量がほぼ限界に達したこと、また、この社会の将来が不透明、かつ不安であることの方が、より大きな問題であることは論を待たない。こんな社会で子供が作れるか!って…えー、話が余計な方に外れたのでわが家の家族構成問題に話しを戻す。
 わが家の一員となったリスは「りりー」と名付けられた。リスなのでりりー、解りやすい。ただこの子はオスだったが…。

 りりーは今年8月、猛暑の日突然亡くなった。この日息子は夏休みで母と共に野球の合宿に行っていて彼(リス)の死を発見したのは私だった。猛暑ゆえ、息子らの帰りを待つことなく埋葬しなければならなかった。
 数日後、またリスが我が家に来た。今度は母と息子がペットショップで買って来た。名は再び「りりー」と名付けられた。この子の一生は短いものだった、突然歩行困難に陥り、治療の甲斐もなく翌日死んだ。

そして今度は…
 数日後、今度はわが家にネコがやって来た(おまたせ!)。茶とらのオスネコ、名は太郎。太郎は二代目りりーを買ったペットショップでもらって来たのだが、このリスからネコへの変化はわが息子にある変化をもたらしたのである。これまでわが家には何かしらのペットが同居していた。金魚・ハムスター、そしてリスだが、わが息子は『世話を焼くから』といいながら、気まぐれで責任感ゼロで、最終的には母が面倒を見るはめになっていた。ところがネコがわが家に来てからは、お兄ちゃんの自覚が芽生えたようで、過保護とも思える溺愛ぶりを見せるようになった。
 しかし、わが家はこのネコ「太郎」にわずか3日で葬式を出してやることになってしまった。太郎は突然下痢を起こし、一夜必死で運命と闘い、朝には息絶えていた。
 ペットは家族という言い方はよくされるし、私もこの文章でそう書いた、だが人間でない以上家族では有り得ない。それでもペットを飼う事は無意味なことではないと思う。人間のために飼う、すべては人間の都合であることを認識した上で、ペットは飼う意義がありそうだ。

ミー登場
 ところで、今うちにいるネコはミーという太郎の兄弟(妹か姉)。なぜ、立て続けにペットが死んだのに、また飼うことにしたのか。
 わが息子はネコを飼うことで初めてペットの世話を自発的に始めたことはすでに書いた。これまで飼った金魚・ハムスター・リスではスキンシップが出来なかった。直接触れて遊ぶことが出来る猫になって、初めて本当の情がわいたのであろう。今回、ネコを再度飼った理由は息子のたっての希望でもあった。『お父さん、(すぐに太郎が死んだので)僕も悔いが残ったんだよ、もう一度飼って』息子はもっと子ネコの面倒が見たかったらしい。
 息子は今日もミーとじゃれながら(多少いじめが入ってはいるが…)よく面倒を見ている。「お兄ちゃん」という言い方もまんざらではない様子。これまで家に居るときはゲームばかりやっていたのだが、関心がミーに向いたおかげでその姿を見ることもめっきり少なくなった。
 先日、息子は私の仕事を手伝ってくれた。米軍のアフガン攻撃1周年で開いた小集会の受け付けをやってくれたのだ。1年の間に息子も少し成長したのだ、と感慨深い今年の秋である。
息子の名は勇太郎(ゆーたろう)という。


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