労働新聞 2002年10月25日号 通信・投稿

都の風便り

日出づる国のノーベル!
狂想曲?

近江八郎

 「3年連続…初のダブル受賞…」と派手に新聞の1面に大見出しが踊るノーベル賞発表劇。受賞者は連日連夜記者会見、テレビのインタビューと、一躍時の人である。
 ノーベル賞…というと私にはやはりあの湯川博士のことが1番に思い起こされる。受賞された年は小生はまだ生まれたばかりで、その場は知らないのだが、連綿とここ地元京都の小、中学校では…いやいや町衆の間では語り継がれてきた。湯川博士が身近な存在に感じられていたし、受験時代には博士のいる大学へ行こうという雰囲気があった。余談だが、「教授」より「博士」という呼称がぴったりなのは、日本では湯川氏とお茶の水博士? の2人しかいないと今も思っているほどである。
 テレビを見ていて面白かったのは、化学賞を受賞された田中耕一氏のコメントだ。だれもが、いや本人さえ思いもしなかった受賞、本人のとぼけたというか「別のノーベル賞でもあるのかと思った」という話には、ほほ笑ましいものを感じた。その作業服姿も好感を持たれたであろう。
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 物理学賞を受賞した小柴昌俊氏に関しては、まったく「都」に縁もゆかりもない人なので、この都の人びとは他人事のように素っ気ない反応であった。
 しかし、翌日のシンデレラボーイが京都の企業の人であると分かると、「おらがノーベル賞の都」と府知事、市長とそれぞれ先を争って表敬訪問、京都市は急きょ「名誉市民」をこの秋に授与すると発表。早くも「京都」ブランドに取り込もうとその素早さとしたたかさは、さすが1200年も続いた王城だけあって抜け目のないワザだと、地元民ながら呆気(あっけ)にとられた。

川柳    正竜

失業や 過去も未来も はぎ取らる
人格が 崩かいをする 失業者
(失業者ネット・長崎)

 また地元新聞も小柴氏の折りには出さなかった号外を、田中氏には当然大増刷で出したのは言わずもがなである。さらに行政だけでなく地元経済界も「京都はベンチャーのメッカ」であり、大学だけでなく民間企業も進取の精神があり、と鼻息荒くご自分が受賞したかのようなある企業幹部のインタビューであった。
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 そもそもノーベル賞の第1号湯川氏、第2号の朝永氏は共に京都の大学で学んだという共通項、それに続く江崎氏も旧制高校まで京都で学んだという縁…その後の最初の化学賞の福井氏も…そして彼らのノーベル賞のメダルは日本銀行京都支店の地下の金庫に保管しているという伝統! が今も引き継がれているのであり、田中耕一さんのメダルもいずれここに保管されるのだろう…まか不思議な都である。
 (あの70年安保の学園紛争最中、地方から京都の大学へ進学した学生が、大家のおばさんに「京都は戦災の被害がなくてよかったですね」と愛想話をした。大家さん「あんさんなにゆうてはりますねん、この前の戦災でここらもう焼け野原でそれはそれは…」と、「この前の戦災」は500年前の応仁の乱。それが今も脈々と生きているほんまにややこしいこの都である)
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 さてノーベル賞がこれほどもてはやされる国は、この国以外には見当たらない。2000年の白川氏の受賞を契機に、「21世紀には50年で30人の受賞者をめざす」と、国家単位で指針を出すのは、哀れにもこの国の文化度の低さを露呈しているだけである。
 これは明治維新から連綿と続くヨーロッパ列強に追いつけ追い越せの国家姿勢が、今も形を変えて存在しているということである。
 明治以来、文化、立法、経済、外交、防衛…などの国家機関もすべてが「脱亜入欧思想」で、欧米の価値基準を金科玉条のごとく尊重し、100余年が過ぎた。91年の湾岸戦争以降、その傾斜はますます進み、価値基準どころか隷属そのものである。
 またユネスコが定めた世界文化遺産への登録合戦も恥ずかしい限りである。それがすべての価値基準だと思いこみ、登録されることをありがたがる思考回路。関西の社寺はあの手この手を使い、水面下で登録への働きかけを行っているのが、悲しいかな現実だ。
 その裏腹に、先ごろ開催された釜山アジア大会にはある種目には一線級の選手を派遣せずアジア大会を軽視してきた対応が続き、ここでもオリンピック至上主義という姿勢である。その結果、目的のメダル数に届かず中国、韓国の後塵(こうじん)を拝しあたふたとしている現状。
 この21世紀こそ方向転換し、「脱欧入亜」という視点で欧米の価値感から脱することである。近隣のアジアの人びとと共生していくことこそ、この国の進むべき道である。アジアのトップランナーとして得た多くの教訓をアジアの仲間に伝え、共に学でいく模範を示すことでこそ、アジア諸国から尊敬される。それこそどこかのマスコミ受けしている某教授の説いている「富国有徳論」の品格ある国として認められるのではないだろうか。ノーベル賞受賞のドタバタ劇を垣間見て、改めて思い知らされた限りである。
 僕も小さいころ成績が良くなるともらいました「ノーベル賞飴」…皆さん、覚えていらっしゃいますか!


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