労働新聞 2002年9月25日号 通信

青春18切符の車窓から
地方切り捨てを実感

近江 八郎

 この夏の終わりに、久々に「青春18切符」を使って関西から九州の友のところへ遊びに行った。
 関西から北九州、博多方面へ深夜走る直行「九州ムーンライト号」は人気があり、全席指定席なので予定していた日程の予約が取れず、行きは大阪南港からフェリーで新門司港までの夜の船旅となった。
 着いた当日の友人との楽しい再会を終え、翌日小倉から宇佐を経て豊後竹田の、あの滝廉太郎の「荒城の月」で有名な岡城を見ようと駅の旅行相談室へ行った。
 ダイヤや連絡を問い合わせたところ、日豊線も直接大分市へ行くものは少なく、宇佐止まりが大半である。大分から豊肥本線で豊後竹田へ行き、そこから熊本へ出て鹿児島線を上り博多へ。そのコースを調べてもらったら、朝一番(午前6時ぐらい)に小倉を出発しても博多へは翌日の午前0時45分着とのこと。またこのダイヤしかスムースに行くものはないとの返答。
 まず宇佐止まりの電車に乗り、大分行きの列車が来るまでの時間待ちの間に、宇佐神宮を見学した。宇佐駅に戻ると、あいにく大分以南は、台風15号が鹿児島沖に接近しているため、運行中止の列車もあるとのことを駅員から知らされる。豊肥本線はどうかと聞くとその情報は入っていないとのこと……ここで決断した。日数と予算も限られた旅、日に2、3本、しかも目的地まで直通のない豊肥本線で立ち往生したら予定が狂うので、急がば回れで宇佐から小倉に戻り、夜無事博多に着いた。

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初秋の風吹く下関市長府の武家屋敷

 再度、豊後竹田行きにチャレンジしょうと思ったが、台風は歩みが遅く九州西海上をゆっくり北上しているので、岡城はあきらめた。
 翌日、セイハチ切符(私はこの切符をこう呼ぶようにしているので御了承ください)を使い切らなくてはもったいないと思い、強くなって来た風と雨の中を博多駅へ向かった。改札口は台風の影響でダイヤが混乱していて、駅員はお客への対応でてんてこ舞いであった。
 駅員に「久留米まで行きたい。夕方7時ぐらいまでには博多へ戻り、夜の関西行きの列車に乗りたいが大丈夫だろうか?」と聞くと、「何とも言えないが早めに戻るようにしてくれ」と言ったので、久留米へ向かう列車に乗り込んだ。
 久留米駅からバスに乗り継ぎ、八女にある岩戸山古墳へ行った。この台風下、風雨の中を傘もささずというか、さしても風であおられる。濡れたまま資料館に入るが、来館は私1人。ゆえに館長とおぼしき年配の人が、懇切丁寧に1時間ほどマンツーマンで展示品の前で説明をしてくれる。その後古墳のまわりを歩き、久留米駅へ戻る。
 近くの吉野ヶ里遺跡へ行こうと思ったがダイヤは大幅に狂っていて、取りあえず博多へ行く列車に乗り込む。しかし、信号待ち、ホームで前の列車が進むのを待っていたりで、特急もくそもない状態。要するに電車が前も後ろも詰まっているということである。通常30分余りで博多に着く快速だがその4倍、2時間余りかかりやっと7時過ぎに着く。本来は門司港行きの快速だが急きょ博多止まりとなる。
 結局いろいろあって、関西行きの列車には乗れず、山口県の下関まで行き、厚狭で泊まる。
 翌朝、下関から小郡へ向かう列車に午前6時に乗り込む。小郡から山陽シティーライナーというたいそうな名前の快速に乗るが、ほとんど普通列車と変わらない。これで岡山、姫路と順調に乗り継いで行っても大阪へは午後の3時前に到着というダイヤである。この山陽本線も、下関から岡山へ在来の快速、普通を使ってスムーズに乗り継げるのは日に2本しかない状態であるらしい。とにかく無事、予定通り家に着いた。

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本州最西端から見た響灘

 夜、ゆっくりと新聞に目を通すと「関西の鉄道」シリーズという連載があった。読んでみて「やはり!」と思った。JR西日本の副社長が、「民営化後都市部に人材、資金を集中投下して私鉄との競争に勝った」と語っていた。その象徴が時速130キロの新快速の投入だ。確かに姫路から大阪までは、九州や山陽本線の快速よりも早く、あれよあれよという間に大阪に着いたものだ。
 これはいまはやりの官から民、そして地方切り捨ての先鋒隊ではないか。大都市圏に住むものだけが便利さを享受し、地方の人は不便さ、不利益を押しつけられる構造。
 はたまたいま話題の「高速道路」の設置見直しも、地方の切り捨てにほかならない。公共の鉄道で不便を強いられ、また今度公共の道路でさらに追いやられる。地域経済の均衡ある発展が、政治の大きな使命のひとつではないのか。
 今まさに、地方切り捨ての仕上げ段階に入りつつあるのではないかと感じた今回の「セイハチ」の旅だった。そしてさらに、断行されようとしている市町村合併は、地方の息の根を止めるもの以外何ものでもないことも、垣間見えた旅でもあった。


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