20020805

うれしいこと、苦しいこと…
仲間と共有していきたい
執ように続く差別と脱退工作
管理者にただちに抗議

JR社員 富岡 敏幸


 暑中お見舞い申し上げます。編集部の皆さん、お元気ですか?
 私も元気に、がんばっています。
 さて、配転された私の仕事のほうも、おおかた慣れてきました。最初はまったく別の会社に入ったように、何も分からずに困りました。
 同じ工場でも、同じ職場でも、電気屋さんから鉄工、内装屋、配管屋、台車、部品……と多くの職種があり、国労組合員は2年ぐらいで、あちこちにタライ回しされます。当然、仕事の評価は5段階の下のほうです。
 私は新しい職場で何も分からないので、会社にマニュアルや図面などを要求しましたが、まったく無視され、挙げ句の果てには「どうせまた別のところに行くんだから、仕事を覚えなくてもいい」と管理者は言いました。
 しかし、現場の国労の仲間が親切に仕事を教えてくれました。現場はとても人手不足で、私もすぐ「1人前」として扱われました。
 私は、私なりに教えてもらったことを「絵」にしたり、「メモ」にしたりして仕事を覚えました。早く覚えないと現場の仲間の負担が大きくなるからです。現場は毎日残業と土曜日、休日出勤して仕事をこなしています。しかし、私のような国労の活動家には、残業も休日出勤も要請がありません。
 あらゆる面で徹底した差別が続いています。会社はわざとしんどいところに私をやって、会社を退職させようと思っています。管理者がよく私に、「退職の用紙あるで」とか言います。私は「60歳まで働くで」と言い返します。
 また、ある国労組合員に管理者が、「君は体が悪いので今の職場におれるようにしたるから国労から脱退しなさい」と言ったそうです。組合員が断ると、すぐに重労働の職場へ配転させられました。
 また別の国労組合員に対して、仕事のミスにつけ込んで脱退を勧めたりしていたので、私は管理者に対し「Aさんから聞いたが脱退工作をしているらしいな。そんなことしていいのか」と、仕事中であろうと抗議しています。とにかく差別と脱退工作は止むことはありません。
 組合事務所も、国労だけ職場の隅に追いやられ、昼食を終え、遠い事務所に行ってニュースなどを持って、各休憩所を回り、組合員の声、要望を聞いていたら、すぐ昼休みも終わります。
 「ニュース」なども管理者の目を気にしながらの配布です。なぜなら施設内の組合活動は認められていません。ニュースを配っているのが見つかると処分です。
 今、昼休みはとても忙しいです。ボーナスの後ですので、いろんなカンパなどの徴収があります。一つひとつ説明しながら各休憩所を回り、組合員の理解を求めてお金を集めるのは大変です。
 現場は生きています。「つらいこと」「脱退工作を受けたこと」「うれしかったこと」を皆職場で、帰り道で、風呂の中で話します。私はそれらを聞くと、どうすればいいか考えます。まずは組合に相談し、管理者に「抗議」をします。それも「暴言」にならないように言葉を選びながら……。
 とにかく、うれしいこと、苦しいことを仲間と共有していこうと思っています。